テーマに対して見る側が
重く受け取りすぎないように工夫

弓指さん

弓指 私以外の家族や親戚がどう思うかについて、繊細に考えなければと思いましたが、自身の気持ちを重視し、それ自体、作品への表現を通して考えてみようと。

 親しい人が自殺したとき、残された側は、そのことを語れない、残されて苦しいという思いや、「あのときもっと何かできたのでは」という自責の念があります。

 そういう人たちに対し、残された者のあり方として、自責の念を心に閉じておくだけでなく、言葉以外でも外に放つ方法もあるということを示せたらと思うんです。何も絵でなくていいと思います。言えないことを別の形で表現して変換することで、そうした気持ちを「昇華」する。私がそういう人にとっての「サンプルA」になれたら、と思っています。

 絵でお金を稼げるかどうかでなく、芸術活動によって私にできることがあるのであれば、絵を続けようと、そう思ったんです。

――テーマに対し、作風は、どこかコミカルで、ユーモアさえ感じる部分があるのですが、そのあたりは見る側が重く受け取りすぎないよう、バランスを考えているのでしょうか?

弓指 先ほどの成果展で、審査員の方に「作品は成果展の中で一番いいけど、内省的すぎる。そういうのはどうかと思う」といったことを伝えられて、私は、内省的にならないよう、「悲しさ」をストレートに表現するのではなく、母を「火の鳥」で表現したりと、直接的にならないようにワンクッション置いて表現したつもりだったので、どこか引っかかったんです。

作品「挽歌」Photo by Masakuni Murakami

 もちろんその方はきちんと評価もしてくださっていましたが、なるほど、そのように見る人もいるんだ、次は内省的に見えないようにさらに工夫しよう、やりかたを変えていこうと思ったんです。

――たとえばどのような工夫ですか?

弓指 自分の個人的な内面の感情を作品として見せられても、他人にとっては知ったことではないですよね。

 でも、作品を展示する必要はある。それであれば、見せることを前提に、「どんなふうにつらいのか」を直接的ではなく、ワンクッション置いた視点で描いたりします。また、そのためのしかけも考えたりします。

 その後、(1986年に自殺をしたアイドルの)岡田有希子さんをテーマにした作品や、編集者の末井昭さんのお母さんが男とダイナマイト心中をしたことをテーマにした作品をつくりました。私は世代ではないので岡田有希子さんをリアルタイムで知っていたわけではありませんが、調べていると、岡田有希子さんがビルから飛び降りた後、それに影響を受けた当時の少年少女が投身自殺を図り、悪い意味で社会現象になってしまった、こうしたことが書かれていたんです。

 でも、どうもまだ彼女についてよくわからなかったので、2016年の岡田さんの命日の日に、東京・四谷の自殺現場に行ってみたんです。すると、そこには当時を知るファンの方だけでなく、私のように、後から彼女を知った世代もいて、彼ら・彼女らが、亡くなった岡田さんの話をしている。年に1度だけ、そこで会う人もいる。岡田さんを悼む人が、毎年命日に現場に集まることで、ゆるいコミュニティができている。ある人の死によって生まれたものが、ほかの人の人生の中での大事な時間になっている。そのことを知ったんです。

 人の死というのは、その人の死だけにはとどまらず、そして身内の死に限らず、その先へと転がっていく、つながっていくことがあるのだと、そのときに気付きました。

 母の死以来、私はずっと母のことを考え、人の死というものを考えてきました。でも、死は悲しいけれど、悲しいだけじゃない。死者は形を変えて、その人を思う人たちの中でつながっていく。このことを、作品づくりを通して示していきたいと思いました。

――2019年の「あいちトリエンナーレ」(※2022年から「国際芸術祭『あいち2022』」に名称変更)では、2011年4月18日に栃木県鹿沼市樅山町で起きた、6人の児童が亡くなった交通事故をテーマにした作品、「輝けるこども」を出展しています。