健康法を知っているだけでは健康にはなれません。本当に正しいとされている健康法を、きちんと行動に移し、毎日無理なく続けるためには技術が必要です。本連載の「健康になる技術」とは、健康でいるために必要なことを実践するスキルです。簡単に言うと、健康になるために「What(何)」を「How(どのように)」行ったら良いのか、自分の環境や特性(弱点・強み)に合わせて実践する技術のこと。本連載では、話題の著書『健康になる技術 大全』の著者、林英恵が「食事」「運動」「習慣」「ストレス」「睡眠」「感情」「認知」のテーマで、現在の最新のエビデンスに基づいた健康に関する情報を集め、最新の健康になるための技術をまとめていきます。何をしたら良いのかはもちろんのこと、健康のための習慣づくりに欠かせない考え方や、悪習慣を断ち切るためのコツ、健康習慣をスムーズに身につけるための感情との付き合い方などを、行動科学やヘルスコミュニケーションのエビデンスに基づいて、丁寧にご紹介していきます。今回は、「健康のために生活習慣を変えることが難しい、たったひとつの理由」についてです。(写真/榊智朗)
監修:イチローカワチ(ハーバード公衆衛生大学院教授 元学部長)
自分の行動は必ずしも自分が決めているわけではない
日本人の半数の死亡理由とされる、慢性疾患。これに対して、日々の生活で気をつけるべきものは、食事や運動・たばこ・飲酒・ストレスなど、決して数が多いわけではありません。
健康のためにしなくてはいけないことの一つひとつは、そんなに難しいことではないのに、どうして簡単なことが続かないのか、なぜ悪習慣がやめられないのだろうかと思うかもしれません。
パブリックヘルスの観点からすると、これは、なんら不思議ではありません。例えば、アメリカでは1988年から2006年の18年間にわたって、人々がどのくらい健康のための簡単な生活習慣を守れているかを調査しました。
具体的には、健康的な食生活、定期的な運動、健康的な体重、ほどほどの量のアルコール、たばこを吸わないことです。その結果、この5つを守れている人は、調査対象のたった8%しかいませんでした。しかも、調査をはじめた1988年には、守れている人は15%だったのですが、18年後には、守れている人が約半分に減りました(*1)。
健康的な生活習慣を身につけられないのは、アメリカに限ったことではなく、日本でも同様です。最近の厚生労働省の調査で、20代の女性約9割が習慣的な運動を行っていないなど、生活習慣の問題が指摘されています(*2)。
たくさんの薬や治療法が開発され、多くの病気が治るようになってきています。このような医学の流れと逆行するように、皮肉にも、人の生活習慣はどんどん不健康になっているのです。一体何が起こっているのでしょうか?
実際の生活習慣の話をするまえに、まず、健康のために生活習慣を変えることが、なぜこんなにも難しいのかのカラクリをご説明します。ポイントになるのは、周りの環境と、健康習慣づくりに関連する行動の特性です。
自分自身の判断で行っていると感じている日々の生活習慣も、実は、周りの環境が決めていることが多いのです。周りの環境と一口にいっても、最近の研究では生活の様々な要素が、みなさんの習慣に影響を与えていることが明らかになっています。
「良い医師に出会えるか、また良い病院が近くにあるか」
はそんなに大きな要因ではない
以前、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)が、国民の健康に影響を与える要因をイメージでわかりやすく説明していました(このような概念図は色々な計算方法があり、それにより結果が変わるので、あくまでもイメージとして捉えてください)(*3)。
図表を見ると、健康に影響を与えるのは、職業や収入、教育年数といった社会経済的な状況を含む環境要因が一番大きいことがわかります。
社会経済的状況を含む環境が、健康習慣に影響を与えていることを考えると、いかに習慣を変えることは一筋縄ではいかないということがおわかりいただけると思います(*4)。
良い医師に出会えるか、また良い病院が近くにあるかなどの医療的な要素は、人々の健康に影響を与える要因としてはそんなに大きくはありません。アメリカの研究では、医療が健康に影響を与える割合は10%だ(すべてのアメリカ人が最高の質の医療を受けたとしても、防げる病気によって死亡する割合は10%しか予防できない)とするものもあるのです(*5,6)。
(本原稿は、林英恵著『健康になる技術 大全』から一部抜粋・修正して構成したものです)
【参考文献】
*1 King DE, Mainous AG 3rd, Carnemolla M, Everett CJ. Adherence to healthy lifestyle habits in US adults,1988-2006. Am J Med. 2009;122(6):528-34.
*2 厚生労働省. 令和元年国民健康・栄養調査. 健康局健康課; 2019.
*3 Centers for Disease Control and Prevention. NCHHSTP Social Determinants of Health.
*4 Tarlov AR. Public policy frameworks for improving population health. Ann N Y Acad Sci. 1999;896:281-93.
*5 Schroeder SA. Shattuck lecture. We can do better―improving the health of the American people. N Engl J Med. 2007;357(12):1221-8.
*6 McGinnis JM, Williams-Russo P, Knickman JR. The case for more active policy attention to health promotion. Health Aff(Millwood). 2002;21(2):78-93.
パブリックヘルスストラテジスト・公衆衛生学者(行動科学・ヘルスコミュニケーション・社会疫学)、Down to Earth 株式会社代表取締役、慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート特任准教授、東京大学・東京医科歯科大学非常勤講師
1979年千葉県生まれ。2004年早稲田大学社会科学部卒業、2006年ボストン大学教育大学院修士課程修了、2012年ハーバード大学公衆衛生大学院修士課程を経て、2016年同大学院社会行動科学部にて博士号取得(Doctor of Science:科学博士・同学部の博士号取得は日本人女性初)。専門は、行動科学・ヘルスコミュニケーション、および社会疫学。一人でも多くの人が与えられた寿命を幸せに全うできる社会を作ることが使命。様々な国で健康づくりに携わる中で、多くの人たちが、健康法は知っていても習慣づける方法を知らないため、やめたい悪習慣をたちきり、身につけたい健康法を実践することができないことを痛感する。長きにわたって頼りになる「健康習慣の身につけ方」を科学的に説いた日本人向けの本を書きたいと思い、『健康になる技術 大全」を執筆した。
2007年から2020年まで、外資系広告会社であるマッキャンヘルスで戦略プランナーとして本社ニューヨーク・ロンドン・東京にて勤務。ニューヨークでの勤務中に博士号を取得。東京ではパブリックヘルス部門を立ち上げ、マッキャンパブリックヘルス・アジアパシフィックディレクターとして勤務後、独立。2020年、Down to Earth(ダウン トゥー アース)株式会社を設立。社名は英語で「実践的な、親しみやすい」という意味で、学問と実践の世界を繋ぐことを意図している。現在は、国際機関や国、自治体、企業などに対し、健康に関する戦略・事業開発、コンサルティングを行い、学術研究なども行っている。加えて、個人の行動変容をサポートするためのライフスタイルブランドの設立準備中。2018年、アメリカのジョン・ロックフェラー3世が設立したアジアソサエティ(本部・ニューヨーク)が選ぶ、アジア太平洋地域のヤングリーダー“Asia 21 Young Leaders”に選出。また、2020年、アメリカのアイゼンハワー元大統領によるアイゼンハワー財団(本部・フィラデルフィア)が手がける、世界の女性リーダー“Global Women’s Leadership Fellow”に唯一の日本人として選ばれる。両組織において、現在もフェローとして国際的な活動を続ける。
『命の格差は止められるか ハーバード日本人教授の、世界が注目する授業』(小学館)をプロデュース。著書に、『健康になる技術 大全」(ダイヤモンド社)、『それでもあきらめない ハーバードが私に教えてくれたこと』(あさ出版)がある。
https://hanahayashi.com/