行為そのものは売れるか

 仏教では「すべての衆生(しゅじょう)はみな仏性(ぶっしょう)をもっている(一切衆生悉有(しつう)仏性)」と教える。あらゆる生きとし生けるものに仏となる本性がある、と。
 これは、仏性があるから大丈夫、ということではない。じっさいに修行することが、仏性があるということを可能にしている。いくら仏性があっても、身をもって修行しなければ証明されず、証明されなければ仏性があることにはならない。

 院主は、売りきってきたことを観念的に知っているだけで、そこにふくまれる売る行為そのものに理解がおよんでいない。
 臨済が杖で線をひく行為をおこないながら「これは売ってきたか」と問うとき、問われていたのは、ひかれた線ではなく、線をひく行為そのものだった。
 杖でさっと線をひく、そのあざやかな動作において歴然とあらわれているものは、臨済そのひとの主体性である。「おのれの主体性、これは売れるか」と臨済は、院主にみずからの主体性への自覚をうながす。

 院主は、地べたにひかれた線を見て「そんなものが売れるわけないだろ」とばかり大声でどなる
 地べたにひかれた線は、どうみたって商品にはならない。院主のいうとおり。しかし院主は、ものごとを「売れるか・売れないか」という観点でしかみていない。商品経済にどっぷりつかっている。

 臨済は院主をしたたか打つ。院主が大声でどなったことを、臨済はおのれの身で受けとめる。
 院主が大声でどなったこと自体がよかったわけじゃない。たとえ苦しまぎれではあれ、必死でどなってみせた姿勢を、ひとまず受けとめ、そして打ってやる。「わしが問題にしているのは、そうやって打たれた痛みを感じているそなた自身のことだ。作用即本性ということをよく噛みしめてみよ」と。

おのれの主体性は売れない

 その経緯をきいた典座が「院主は和尚の真意がわかっておりません」という。
 熟練している典座は、臨済のふるまいの意味をわかっている。そこで「おのれ自身の主体性は売ってはならない。臨済の示す主体性にたいしては、ただお辞儀をするのみ」とお辞儀をしてみせる。
 ところが臨済はこの典座をも打つ。院主のときとおなじように。

 おのれの主体性は、たしかに売ってはならない。また売れもしない。とはいえ商品経済に背をむけて、ただ超然としていることもできない。
 寺院をきりもりする院主としては、モチ米を売りにもゆかねばならない。商品経済とどうむきあったらよいのか。
 院主のようにどっぷりつかってはならない。典座のように背をむけてもならない。禅者ならではの身の処しかたとはどういうものか。

 臨済は「わしが問題にしているのは、この痛みを感ずるそなた自身のことだ。作用即本性ということが身にしみたか」と典座を打つ。院主はわかっていなくて、自分はわかっているというが、ことがらは「わかる・わからない」といったひとごとではない、そなた自身のことなのだ、と。

画すべき一線はどこにある

 院主も、典座も、かれらなりにガンバった。でも、どっちも打たれてしまった。
 臨済が打つのは、たんに否定しているわけじゃない。そこで重要になってくるのが、臨済の最初の問いだ。

 臨済は地べたに線をひいて「これは売れるか」と売れっこないものについて問う。
 地面にひかれた線は、もとより商品にならない。しかもその線は、臨済の主体性そのものでもない。ただ臨済の動作によってあらわされただけの行為の痕跡である。

 額に汗して労働することは価値を生みだす。その価値を享受することに問題はない。俗にみえる労働ではあるが、たとえ禅僧であろうとも、べつに背をむけなくてもよい。
 臨済が地べたに線をひいたことは、禅僧が商品経済に対処するうえでの、ひとつのヒントをあたえている。

 売ってもよいものと売ってはならないものとのあいだに一線をひいてみせ、「このギリギリの一線は売れるか」と問う。おのれの主体性を売ってはならない。おのれの労働の成果は売ってもよい。そこには画すべき一線がある。

(本稿は、山田史生著『クセになる禅問答』を再構成したものです)

山田史生(やまだ・ふみお)

中国思想研究者/弘前大学教育学部教授

1959年、福井県生まれ。東北大学文学部卒業。同大学大学院修了。博士(文学)。専門は中国古典の思想、哲学。趣味は囲碁。特技は尺八。妻がひとり。娘がひとり。
著書に『日曜日に読む「荘子」』『下から目線で読む「孫子」』(以上、ちくま新書)、『受験生のための一夜漬け漢文教室』(ちくまプリマー新書)、『門無き門より入れ 精読「無門関」』(大蔵出版)、『中国古典「名言 200」』(三笠書房)、『脱世間のすすめ 漢文に学ぶもう少し楽に生きるヒント』(祥伝社)、『もしも老子に出会ったら』『絶望しそうになったら道元を読め!』『はじめての「禅問答」』(以上、光文社新書)、『全訳論語』『禅問答100撰』(以上、東京堂出版)、『龐居士の語録 さあこい!禅問答』(東方書店)など。