養老孟司氏、隈研吾氏、斎藤幸平氏らが絶賛している話題のサイエンス書マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険』──。樹木たちの「会話」を可能にするしくみを解明した著者スザンヌ・シマードのTEDトーク「森で交わされる木々の会話(How trees talk to each other)」も大きな話題を呼んだ。
本連載では日本語版の刊行を記念し、本文の一部を特別に公開している。今回お送りするのは、若きシマードが初めて地下の菌根ネットワークの存在を予感するシーン。カナダの木材会社で働き始め、木々を切り倒す政府方針に加担していたシマードは、偶然にもある発見をする──。

あまりに愚かな政府の森林伐採政策。そこで森林生態学者が気づいた「地面の下」の秘密マザーツリー』本文より

「だが……この、枝分かれした菌糸はいったい何なのだろう?」

 私はこの木材の皆伐に加担していた──自由に、野生のままに、何の不足もなく生えていた木々を伐り倒し、その場所を更地にしてしまう、というこの営みに。同じ会社の同僚たちは、次の皆伐の計画を練っていた。製材所を回し続け、家族に食べさせるために。それが必要なのは私にもわかっていた。だが、皆伐はこの谷が丸裸になってしまうまで終わらないだろう。

 私はシャクナゲとハックルベリーのあいだをくねくねと縫うように、若木に向かって歩いていった。樹齢の高いモミを伐採したあとの植樹を担当したスタッフが植えた、チクチクするトウヒの苗木は、足首ほどの高さに育っていた。亜高山モミを伐採したあとに亜高山モミを植えないというのは奇妙だと思うかもしれない。だがトウヒのほうが材木としては価値があるのだ。木目が細かく、腐りにくく、高級材木としてみんな欲しがるのである。成熟した亜高山モミから取れる木材は、弱いし質が悪い。

 政府はまた、裸の土地が残らないよう、苗木を菜園のように列に並べて植えることを推奨する。等間隔で格子状に植えて育てた木のほうが、バラバラにかたまって生えている木よりも材木がたくさん採れるからだ──少なくとも理論上は。隙間を残さないことで、自然の状態よりも多くの木を育てることができるという判断である。先々の生産高を期待し、隅から隅までぎっしりと木を植えれば収穫も増えるだろうと考えたのだ。それに、理論に沿って並べて木を植えれば何かと数えやすかった。

 最初にチェックしたトウヒの苗木は、かろうじて枯れてはいない状態で、針葉が黄色っぽくなっていた。幹はひょろっとして情けなかった。この荒れた土地で、こんな木がどうやったら生き残れるのだろう? 私は並んだ木の列を見回した。新しく植樹された苗木はみな悪戦苦闘していた──1本残らず、植えられた小さな木はどれもみな元気がない。どうしてこんなにひどい有り様なんだろう?

 それに比べて、原生林のままの一角で発芽した野生のモミがものすごく元気なのはなぜなのか? 私は野外手帳を取り出して、防水性のカバーから針葉を払い、眼鏡を拭いた。私たちが奪い去ったものを元どおりにするはずの植樹は、惨めな大失敗だった。私はどんな処方箋を書いたらいい? 会社に全部やり直せと言いたかったけれど、そんな費用には嫌な顔をするに決まっている。私は反論されることを恐れて、「合格点。ただし枯れた苗木は植え替えること」と書いた。

 私は苗木の1本に覆いかぶさっている樹皮を持ち上げて茂みに放り投げた。製図用紙でつくった間に合わせの封筒に、黄色くなった苗木の針葉を集めて入れた。ありがたいことに、私の机が置かれている窪まった部屋の一角は、地図を広げるテーブルや騒々しいオフィスから離れたところにあった──男たちはそこで、取引をし、材木や伐採作業の値段を交渉し、次に伐採する森の区画を決め、陸上競技の勝者に一等賞のリボンを渡すみたいに請負業者との契約を決めた。小さな私のスペースでなら、そうした喧騒から離れた静けさのなかで人工林の問題に取り組むことができる。苗木の症状の原因は参考図書があれば簡単にわかるかもしれない。針葉が黄色くなる原因は山のようにあるのだから。

 私は健康な苗木を見つけようとしたが無駄だった。いったい何がこの病気の原因なのだろう? それを正しく診断しなければ、苗木を植え直してもおそらくは同じ憂き目に遭うだろう。

 私はこの問題を隠し、会社にとって安易な解決策を取ろうとしたことを後悔した。植樹した森はめちゃくちゃだった。この人工林が、政府による森林再生の要件を満たせていないなら、上司はそのことを知りたいはずだ──なぜなら失敗は経済的な損失を意味するからだ。彼は、森林再生に関する基本的な要件を最低限の費用で満足させることばかり考えていた。でも私は何を提案すればいいかさえわからなかった。

 私は別のトウヒの苗木を植え穴から引き抜いた。答えは針葉ではなく根にあるかもしれないと思ったのだ。苗木は、晩夏になっても湿気の残る粒状土にしっかりと植わっていた。植樹の仕方は完璧だ。林床の土をどかすと、植え穴はその下の、鉱物をたっぷり含んだ湿った土壌につながっていた。指示どおりだ。私は苗木の根を植え穴に戻し、別の苗木をチェックした。そしてもう1本。

 どれもみな、シャベルで掘って隙間のないように埋め戻した穴に適切な方法で植えられていたが、根鉢はまるで墓穴に突っ込まれた死体のようだった。一つとして、本来あるべき状態の根はない。土中の養分を取り込むために、白い新しい根を伸ばしている苗木が1本もないのだ。根はどれもゴワゴワして黒く、どこへともなくまっすぐに突き出ている。苗木が黄色い針葉を落としているのは、何かに飢えているからだった。根と土が、完全に、悲しいほどに乖離しているのだ。

 偶然に、種から発芽して根づいた亜高山モミが近くに生えていて、私は比較のためにそれを引き抜いてみた。植樹されたトウヒがニンジンのように簡単に土から引き抜けたのと違い、伸び放題のモミの根は地中にものすごくしっかりと張っていて、私は幹の両側に足を踏ん張って精いっぱいの力で引っ張らなければならなかった。やっとのことで根は地面から抜けたが、その拍子に私は尻もちをついた。いちばん深くまで伸びた根の先端はどうしても土から抜けなかった──きっと私に抗議したのだろう。私はなんとか引き抜いた、折れた根の腐植土とぽろぽろした土を払い落とし、水筒を取り出して残った土を洗い流した。根の一部は先端が細い針のように尖っていた。

 原生林で見たのと同じ鮮やかな黄色の菌糸が根の先端を包んでいるのを見て私は驚愕した。これもまた、パンケーキみたいなヌメリイグチ属のキノコ(Suillus lakei)の柄から伸びていた菌糸体──網状になった菌糸とまったく同じ色をしていた。引き抜いたモミの周りをもう少し掘ると、黄色い糸は有機的な塊となって土壌を覆い、菌糸体のネットワークを形づくって遠くへ遠くへと放射状に広がっていた。

あまりに愚かな政府の森林伐採政策。そこで森林生態学者が気づいた「地面の下」の秘密マザーツリー』本文より

 だがこの、枝分かれした菌糸はいったい何なのだろう、そして何をしているのだろう? これは木にとって役に立つ菌糸で、土のなかをくねくねと進みながら養分を取り込み、エネルギーと引き換えに苗木に運んでいるのだろうか。それともこれは病原菌で、木の根に感染して栄養を奪い、いたいけな苗木が黄ばんで枯れるのはこれが原因なのだろうか。ヌメリイグチ属のキノコは、好条件が整うと、胞子を振り撒くために地下構造からニョッキリ顔を出すのかもしれない。

 あるいは、この黄色い糸はヌメリイグチ属とは何の関係もなく、ほかの菌類なのかもしれない。地球には100万種を超える菌類が存在する。これは植物の約6倍で、識別されているのは10%ほどにすぎない。私のわずかな知識では、この黄色い糸がどんな菌種であるかを特定するのはとても無理そうだった。菌糸やキノコが手掛かりにならないとしたら、新しく植えたトウヒがここで元気に育たないのにはほかに理由がある可能性もある。

 私は「合格点」と書いたのを消して、「植樹は失敗」と書いた。今回と同じ苗木と植樹方法──シャベルで土を掘り、苗木園で大量生産された鉢植えの当年生苗を植える──ですべてを植樹し直すのが会社にとってはいちばん安上がりに思えた。だが、同様の悲惨な結果のせいでそれを繰り返さなければならないとしたら話は違う。この森を再生するためには何か別のものが必要だったが、それはいったい何なのだろう?

 亜高山モミを植える? 植樹できる苗木を持っている苗木園などなかったし、モミは換金作物にはならない。もっと根が大きくなっているトウヒを植えてもいいが、新しい根が伸びなければやはり根は枯れてしまう。根が地中の黄色い菌糸のネットワークに触れるように植えたらどうだろう。もしかすると、黄色い細い糸が私の苗木を健康に保ってくれるかもしれない。

 だが規制によれば、根は腐植土ではなくその下にある粒状の鉱質土層に植えなければいけない──晩夏になると、砂と沈泥と粘土の粒のほうがよく水を保持するので、木が生き残れる可能性が高い、という理由だ──し、菌が棲んでいるのは主に腐植土のなかなのだ。苗木が育つために土が根に提供しなければいけない最も重要な資源は、水だと考えられていた。政策が変わって、根が黄色い菌糸に触れるような形で植樹できるようになる可能性はとても低いように思われた。

(本原稿は、スザンヌ・シマード著『マザーツリー』〈三木直子訳〉からの抜粋です)