NYタイムズが「映画『チャイナ・シンドローム』や『ミッション:インポッシブル』並のノンフィクション・スリラーだ」と絶賛! エコノミストが「半導体産業を理解したい人にとって本書は素晴らしい出発点になる」と激賞!! フィナンシャル・タイムズ ビジネス・ブック・オブ・ザ・イヤー2022を受賞した超話題作、Chip Warがついに日本に上陸する。
にわかに不足が叫ばれているように、半導体はもはや汎用品ではない。著者のクリス・ミラーが指摘しているように、「半導体の数は限られており、その製造過程は目が回るほど複雑で、恐ろしいほどコストがかかる」のだ。「生産はいくつかの決定的な急所にまるまるかかって」おり、たとえばiPhoneで使われているあるプロセッサは、世界中を見回しても、「たったひとつの企業のたったひとつの建物」でしか生産できない。
もはや石油を超える世界最重要資源である半導体をめぐって、世界各国はどのような思惑を持っているのか? 今回上梓される翻訳書、『半導体戦争――世界最重要テクノロジーをめぐる国家間の攻防』にて、半導体をめぐる地政学的力学、発展の歴史、技術の本質が明かされている。発売を記念し、本書の一部を特別に公開する。

日本の半導体メーカーがシリコンバレーよりも優れていた技術力以外の理由Photo: Adobe Stock

日本企業が損失を垂れ流しつつも
競合の破産を待てたのはなぜか

 ジェリー・サンダースは、シリコンバレーがもっとも不利な点は資本コストの高さだと見ていた。「日本人は6%、あるいは7%くらいの金利で資本を調達している。しかし、私は好況時には18%も支払っているのだ」と彼は不満をこぼした[1]。

 先進的な製造工場の建設には途方もない費用がかかるので、金利は非常に重大な問題だ。おおよそ1、2年おきに次世代の半導体が登場しては、新たな工場や装置が必要になった。その一方で、1980年代、連邦準備制度がインフレ抑制を試みると、アメリカの金利は21.5%まで上昇した

 対照的に、日本のDRAMメーカーの資本コストはそれよりもはるかに低かった。日立や三菱といった半導体メーカーは、巨大財閥の一部であり、巨額の長期融資を提供してくれる銀行との関係が深かった。

 たとえ日本企業に利益が出ていなくても、銀行が返済期間を延長してそうした企業を生き延びさせた。アメリカの金融機関なら、とっくのとうにそういう企業を破産に追いやっただろう[2]。

 また、日本社会は、巨額の貯蓄を生み出しやすい構造になっていた。戦後のベビー・ブームとひとりっ子家庭への急速な転換により、ただでさえ数の多い中年の世帯が、老後に向けた貯蓄に精を出したからだ。日本社会の頼りないセーフティ・ネットも、貯蓄のいっそうの刺激になった。一方、株式市場などへの投資の厳しい制限によって、国民は銀行口座に現金を蓄える以外の選択肢をほとんど持たなかった。

 その結果、現金余りの状態となった銀行は、低金利でローンを延長したのである。日本企業はアメリカ企業より多くの負債を抱えていたが、それでもアメリカより低金利でお金を借りられたわけだ[3]。

 この安価な資本を武器に、日本企業は市場シェアをめぐる容赦ない戦いを始める。アメリカの一部のアナリストたちが描く協力的なイメージとは裏腹に、東芝や富士通などの企業も互いに激しい争いを繰り広げた。しかし、無尽蔵に近い銀行融資を得られた日本企業は、損失を垂れ流しつつも、競合企業が破産するのをじっと待つことができた

銀行が融資を続けるかぎり、
日本企業は新工場を作り続けた

 1980年代初頭、日本企業はアメリカ企業より6割も多く生産設備に投資を行なったが、半導体産業の誰もが殺人的な競争にさらされ、大きな利益を上げられる者は皆無に近かった。そんななか、日本の半導体メーカーは投資と生産を続け、どんどん市場シェアを奪っていった。

 その結果、64KビットDRAMチップが発売されてから5年後、その10年前にDRAMチップを発明したインテルは、世界のDRAM市場で1.7%のシェアしか獲得できていなかった[4]。一方、日本企業の市場シェアはうなぎのぼりだった

 シリコンバレーが市場から締め出されると、日本企業はここぞとばかりにDRAM生産を強化しにかかる。1984年、日立は自社の半導体事業に対し、10年前の15億円から大幅増となる800億円の設備投資を行なった。東芝は同期間で30億円から750億円、NECにいたっては35億円から1100億円への増額だ。

 1985年、日本企業は世界の半導体設備投資の46%を占めた。対するアメリカは35%だ。1990年になると、この数字はさらに一方的となり、日本企業が半導体の製造工場や製造装置への全世界の投資額の半分を占めるようになった。銀行が喜んで費用を負担してくれるかぎり、日本のCEOたちは次々と新工場を建設し続けた[5]。

 日本の半導体メーカーは、この戦いにアンフェアなところなんてひとつもない、と主張した。アメリカの半導体メーカーも、特に軍需契約を通じて、政府から潤沢な支援を受けているではないか、と。

 いずれにせよ、半導体を消費するヒューレット・パッカードのようなアメリカ企業の目の前には、日本製のチップのほうが単純に高品質である、という厳然たる証拠があった。その結果、1980年代、日本製のDRAMチップの市場シェアは年々上昇を続けた。

 その煽りを食ったのがアメリカのライバル企業だ。アメリカの半導体メーカーの予測する終末がどうあれ、日の丸半導体の躍進は止められないように見えた。じきに、シリコンバレー全体が置き去りにされ、死を待つ身となるだろう。


[1] T. R. Reid, The Chip(Random House, 2001), p.224[邦訳:T・R・リード『チップに組み込め!』鈴木主税・石川渉訳、草思社、1986年、238ページ].
[2] The Effect of Government Targeting on World Semiconductor Competition(Semiconductor Industry Association, 1983), pp. 67.
[3] Jeffrey A. Frankel, “Japanese Finance in the 1980s: A Survey,” National Bureau of Economic Research, 1991. GDPに対する割合で見た家計貯蓄、家計消費、銀行貸出のデータについては、data.worldbank.orgより。
[4] P. R. Morris, A History of the World Semiconductor Industry(Institute of Electrical Engineers, 1990), p. 104; Robert Burgelman and Andrew S. Grove, Strategy Is Destiny: How Strategy-Making Shapes a Company’s Future(Free Press, 2002), p. 35[邦訳:ロバート・A・バーゲルマン『インテルの戦略――企業変貌を実現した戦略形成プロセス』石橋善一郎・宇田理監訳、ダイヤモンド社、2006年、41ページ].
[5] Scott Callan, “Japan, Disincorporated: Competition and Conflict, Success and Failure in Japanese High-Technology Consortia,” PhD dissertation, Stanford University, 1993, p. 188, Table 7.14; Clair Brown and Greg Linden, Chips and Change: How Crisis Reshapes the Semiconductor Industry (MIT Press, 2009).

(本記事は、『半導体戦争――世界最重要テクノロジーをめぐる国家間の攻防』から一部を転載しています)