関西大学総合情報学部教授の植原亮氏が「頭の中だけの(いわば狭い意味での)論理的思考から抜け出すきっかけとなる一冊」と薦める『クセになる禅問答』(山田史生・著)をご存じだろうか。いまやグローバルなものとなった禅のもつ魅力を、もっとも見事にあらわした大古典、『臨済録』をわかりやすく解説した同書が3月7日に刊行された。この本は「答えのない」禅問答によって、頭で考えるだけでは手に入らない、飛躍的な発想力を磨けるこれまでにない一冊になっている。今回は、本書の刊行にあたり、著者に「『話が伝わらない』という悩みに効く禅問答」について教えてもらった。

クセになる禅問答Photo: Adobe Stock

言葉というツールの使いかた

「どんなに丁寧に説明しても、相手に伝わらない」「なんで、こんな反応が返ってくるんだろうか」と感じ、悩む人は多いのではないだろうか。そのときは「言葉にすれば伝わるはずだ」「相手は自分と同じものをみている」という思い込みを外してみてはどうか。
 言葉を自在に使いこなす方法を、禅問答から考えてみたい。

 ある僧がいう「言葉をしゃべればしゃべるほど、道からどんどん遠ざかります。言葉をしゃべることなく、どうかお教えください」。
 玄沙(げんしゃ)がいう「おいおい自縄自縛におちいってどうする」。
「それこそが言葉をしゃべらないことなのですね」。
「いい加減なことをいうな」。
(『玄沙広録』より)

自分の体験をどれくらい言葉で表せているか

 ある日、オフィスの窓から外をながめると、緑の木の葉がみえる。
 ぼくの身には「緑の木の葉がみえる」という出来事が起こっている。これを、言葉をもちいて正確に表現しようとすると、たちまち困難におちいる。

「木の緑の葉がみえる」という言葉をしゃべることによって、ぼくは自分の経験をどれくらい同僚に伝えられているだろう?
 この緑の、この木の、この葉をみている。日が暮れてきた。だんだん薄暗くなってくる。みえている葉っぱの色合いも、刻一刻、変わってくる。すこし風もでてきた。

 たぶん半分も伝えられていない。とはいえ、同僚を窓のところにつれてきて、木を指さしてみたところで、事態はちっとも好転しない。「ほら、あの緑の木の葉だけどさ」と言葉を使うことになる。

言葉の性質をわかっておこう

 言葉は、その性質からして、一般的・間接的・作為的・公共的にしか表現できない。
 たとえ百万言をついやしたところで、現にみえていることを、そのままダイレクトに伝えることはできない。言葉はしょせん「事の端」でしかない。

 冒頭の問答を考えてみよう。
 僧は「言葉であらわそうとすると真実から遠ざかるといいますが」と釘を刺したうえで、「どうか言葉を使わずに教えてください」と言葉を使ってリクエストする。言葉を使わずに教えてほしいなら、言葉を使わずに頼むべきだろうに。

 みな世界のなかで生きている。その世界をとらえる有効な手立てとして、ひとは言葉をもちいる。
 好むと好まざるとにかかわらず、ひとは言葉を介して世界を受けとめている。言葉にまったく染まらない「出来事そのもの」などというものは、人間にとってほとんど無意味なものだ。

なぜ、言葉を使うのか?

 僧は「言葉であらわそうとすると真実から遠ざかる」と前提することによって、みずからの世界を限定している。それを受けて、「自分で自分の首をしめおって」と玄沙は苦笑い。

 すると僧は「なるほど、それが正しい言葉の使いかたなのですね」と、ものわかりよく事を片づけようとする。「このお調子ものめ」と玄沙は叱りつける。
 玄沙は僧のなにを叱っているのだろう? 玄沙の真意を知るためには、ひとが言葉をもちいて「なにをしているのか」ということをわきまえておく必要がある。

言葉にするときに気をつけるべきこと

 ひとが世界を受けとめ、行動するさい、言葉はきわめて重要なはたらきをしている。ただし言葉は、ひとの行動から一歩はなれた間接的なところにあって、はじめて言葉として機能する。ひとの行動とピッタリと隙間なく密着した言葉は、おそらく悲鳴や掛け声にしかならない。
 世界を間接的に受けとめられるからこそ、ひとは言葉をうまく使いこなせる。

 こういう言葉のもっている本質的な間接性をわきまえず、言葉をすぐに現実とむすびつけ、それを発した「責任」を追及しようとすると、とたんにギクシャクしてくる。
 病気の診断とは、症状に病名を与えることだ。病名を与えたからといって、病気が治るわけじゃない。しかし病名が与えられて、はじめて治療はスタートできる。

 仕事をスムーズにおこなうためには、現実と言葉との「つかず・はなれず」の関係をわきまえておかなければならない。

山田史生(やまだ・ふみお)

中国思想研究者/弘前大学教育学部教授

1959年、福井県生まれ。東北大学文学部卒業。同大学大学院修了。博士(文学)。専門は中国古典の思想、哲学。趣味は囲碁。特技は尺八。妻がひとり。娘がひとり。
著書に『日曜日に読む「荘子」』『下から目線で読む「孫子」』(以上、ちくま新書)、『受験生のための一夜漬け漢文教室』(ちくまプリマー新書)、『門無き門より入れ 精読「無門関」』(大蔵出版)、『中国古典「名言 200」』(三笠書房)、『脱世間のすすめ 漢文に学ぶもう少し楽に生きるヒント』(祥伝社)、『もしも老子に出会ったら』『絶望しそうになったら道元を読め!』『はじめての「禅問答」』(以上、光文社新書)、『全訳論語』『禅問答100撰』(以上、東京堂出版)、『龐居士の語録 さあこい!禅問答』(東方書店)など。