「あそこまで熱心な生徒はひとりだけ」
南海キャンディーズ・山ちゃんの下積み時代
――『1秒で答えをつくる力』では、後天的に「頭の回転速度」を上げた芸人の代表的な例として、南海キャンデーズの山ちゃんこと山里亮太さんが紹介されていました。
本多 彼は今でこそ、漫才師、情報番組のナレーター、バラエティ番組の司会など、なんでも器用にこなせる芸人として引っ張りだこですが、大阪NSC22期生として入学した当初は、今のように「切れ物」なイメージはまったくありませんでした。
山里くんは、大学こそ大阪ではあるものの、千葉県出身で「大阪のお笑い」にまったくと言っていいほど馴染んでいなかった。見様見真似で関西弁のネタを考えていたけれど、えせ関西弁っぽさが抜けなくて。「それ、大阪人、いちばん嫌いやから、標準語のほうが絶対ええと思うよ」とアドバイスをしたこともありました。
――今の山里さんからは、想像つかないですね。山里さんは、今のようにキレのある話術を、どのようにして手に入れられたのでしょうか。
本多 とにかく勤勉で、「聞き逃さずに全部吸収しよう」という意欲がすごかったんですよ。おそらく授業をぼーっと聞いていることは一瞬もなかったことでしょう。
当時、大阪NSC22期には、1クラスあたり70~90人、合計800人以上の生徒がいました。その中で山里くんだけは、いつ授業をしても必ず目が合うんです。ガリガリと手を動かしてノートにメモしながらも、真剣な目はずっとこちらを向いていました。「この子の集中力、すごいわ」と正直驚きましたね。
――すごい執念ですね。
本多 私が厳しいことを言っても、ネタがうまくいかなくても、彼は絶対に諦めませんでした。後にも先にも、あそこまで熱心な生徒は、30年の講師人生で山里くんひとりだけです。そうそう、山里くんは、3種類のノートを常時持ち歩いていました。
・1冊めは、「自分の書いたネタノート」
・2冊めは、「(私も含めた)先生のアドバイスが書かれたノート」
・3冊めは、「(私も含めた)先生のアドバイスと自分のネタの改訂版ノート」
この3冊を常に用意し、授業中は、私が他の生徒にしたアドバイスも書きとめていました。さらに、授業時間が余って質問タイムになると、これでもかと質問攻めをしてきたんです。あとから本人に聞いたのですが、授業の前に、あらかじめ聞きたいことをいくつか用意しておき、さらに授業で気になったことも質問していたそうです。
――今の山里さんのズバ抜けた面白さは、そのときの積み重ねによるものなんですね。
本多 その影響が大きいと思いますね。山里くんは、『天才はあきらめた』(朝日文庫)という本を出していましたが、間違いなく「努力の天才」だと思います。彼との出会いは、「頭の回転の速さ」は努力で身につけられるものだと、私に再認識させてくれました。
もちろん、山里くんだけではなく、「後天的」にお笑いの技術を身につけた芸人は、大勢います。むしろ、「この子は絶対に売れるな」と確信を持てるようなカリスマ性を、はじめから持っている子の方が少ない、ごくわずかじゃないでしょうか。
――本書に書かれていた「1秒で人の心を掴む」技術もすべて、論理的に解説されていて、とても驚きました。
本多 そうなんです、お笑いには、しっかりとした理論があります。その理論を学び、繰り返し練習すれば、誰でもとは言えませんがセンスのある子なら再現できるようになるのです。