「死」とは何か。死はかならず、生きている途中にやって来る。それなのに、死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている。死が、自分のなかではっきりかたちになっていない。私たちの多くは、そんなふうにして生きている。しかし、世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、仏教、神道、儒教、ヒンドゥー教など、それぞれの宗教は「人間は死んだらどうなるか」についてしっかりした考え方をもっている。
現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である橋爪大三郎氏(大学院大学至善館教授、東京工業大学名誉教授)が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』は、「この本に、はまってしまった。私たちは『死』を避けることができない。この本を読んで『死後の世界』を学んでおけば、いざというときに相当落ち着けるだろう」(西成活裕氏・東京大学教授)と評されている。今回は、著者による特別講義をお届けする。
国際社会で意見の対立があった場合
グローバル世界の人びとは、背景になる宗教が異なり、考え方や行動が異なる。彼らと一緒にビジネスをする場合、まず相手をよく理解することが大事です。
現在のグローバルスタンダードは、西欧キリスト教文明のやり方です。彼らは「法律」を重視します。法律(契約)さえ守っていれば、相手の考え方が違っていても、なんとかなると考える。
ビジネスの契約は世俗の契約です。でもその契約を、ちゃんと守れと神が命じていると考える。それができるひとが、人間としてまともだと。
イスラム文明では、法律と言えばまず宗教法です。イスラム法は、アッラーとの契約。法律や契約に対する考え方が、西欧世界とは違います。
インドや中国では、契約というものの重みがまるで違ってきます。特に中国の場合、契約は、相手との関係を深めていくための第一歩。相手との関係の深まりを探りながら、契約を結び直していくのが正しい。契約を結んだ当初と話が違ってきて、契約と違うじゃないかと抗議すると、あなたと友だちを続ける気がありません、という意味になってしまいます。
これは一例ですが、国際社会では、同じ契約でも守られ方が違うかもしれないと覚悟しておく。これが、イロハのイですね。
4行でわかる世界の文明
世界の人びとは、自分も相手も自己主張する。このままだと衝突するという場合に、文明ごとにそれを解決するやり方が違います。
[西欧キリスト教文明]…「法律」があるから、解決する。
[イスラム文明]…「イスラム法」があるから、解決する。
[ヒンドゥー文明]…真理のもと「別々の法則」に従っているから、解決する。
[中国儒教文明]…「順番」が決まっているから、解決する。
これに対して日本人は、ビジネスで何を大事にしているか。契約よりも大事なものがあると考える。それは、相手との信頼関係です。そもそも信頼できない相手とは、契約を結んでも意味がないと考える。
日本の社会では、いきなり自己主張することは危険です。自分だけ目立って、集中攻撃にさらされます。それよりも、相手の出方をまずうかがうほうがいい。
でも、相手も同じことを考える。このままだと、なにも決まらない。そこで、こうなります。
[日本社会のルール]…みなで相談して決める。
日本の組織はみなで相談すれば、何でも決められます。ただし、実際にみなで相談するかと言えば、会議の場では反対がないことを確認するだけで、実質的な議論がない。その前の準備の会議で、結論は出ています。準備の会議で議論があるかと言うと、その前に根回しがすんでいる。
結局、誰がなぜそう決めたのかわからないままに、決まったことが儀式のように確認される。これがよくある日本の会議です。
日本教が生まれた背景
日本人が自分たちは日本人だと思っている強い確信を、私は「日本教」とよびます。
日本教には、正しさの規準となる正典がありません。契約もありません。法律もありません。
この“日本らしさ”は、室町時代のムラ社会を起点にするものだと思います。
日本では室町時代このかた、土地の所有権が安定しています。それが人間関係の基礎になります。政府が変わっても、土地所有も人間関係も壊れません。だから日本では、人間を信頼することが生存戦略として、いちばん合理的です。とても日本的なやり方です。
社会のルールの根本は、ひとに迷惑をかけないこと。迷惑かどうか決めるのは、相手です。だからいつも相手のことを忖度(そんたく)して、トラブルが起きないようにする。おそらく皆さんの会社もそうなのではありませんか。
でもこうした日本教のやり方は、世界のさまざまな文明のルールとまったく違います。グローバル世界でビジネスを進める場合、大きな障害になるでしょう。
ではどうしたらいいか。
その対策の第一は、世界の文明の具体的なあり方について、理解を深めること。比較宗教社会学は、その傾向と対策を考える基礎知識を与えます。
それを身につけることが、次世代のリーダーにとって、必須の教養になるでしょう。
※本原稿は、2022年11月に大学院大学至善館で行なった講演(https://shizenkan.ac.jp/event/religions_oc2023/)をもとに、再編集したものです。
橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう)
1948年生まれ。社会学者。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。大学院大学至善館教授、東京工業大学名誉教授。著書に『はじめての構造主義』『はじめての言語ゲーム』(ともに講談社現代新書)、社会学者・大澤真幸氏との共著に『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書、新書大賞2012を受賞)、『死の講義』(ダイヤモンド社)などがある。
「人は死んだらどうなるのか」を宗教に学ぶ――著者より
突然ですが、この本は、死んだらどうなるかの話です。
だいたい死は、突然やってくるものなので、お許しください。
ただしご安心ください。「死んだらどうなるかの話」は、死ぬことそのものではありません。むしろそんなことを考えるのは、生きているひとです。かく言う著者の私もまだ生きているし、この本を手にとったあなたも生きている。悠長なことです。いまにも死にそうで、それどころではないひとだってけっこういるのに。
じゃあなぜ、そんな悠長なことを考えるのか。
いよいよ死にそうになったときには、じっくり考える時間がありません。気力も体力もないかもしれない。そうするうち、死んだらどうなるかもはっきりしないまま、死んでしまう。もったいないことです。せっかく死ぬのに。
人間は、自分が死ぬとわかっている。よろしい。では、死んだらどうなるとわかっているのでしょうか。
むかし人びとは、群れをつくったり、村に住んだり、小さな集団で暮らしていました。そこには、死んだらどうなるか、の決まった考え方がありました。死んだら鳥になる。先祖のところに帰る。どこか遠くで、楽しく暮らす。などなど。それは、人びとが自分の考えを持ち寄って、みんなの考えにしたものです。
そのうち、社会はもっと複雑になります。広い場所で農業を営み、人口も増えた。社会階層が分化した。ふつうの人びとのほかに、商人や職人や、軍人や王さまや、官僚や神官がいます。複雑な社会のなかで、人びとはさまざまな人生を歩みます。職業を変わったり、出世したり落ちぶれたり、戦争に駆り出されたり難民としてよその土地に移住したり。人びとの生き方が何通りもあるということは、人びとの考え方も何通りもあるということです。
広い場所には、さまざまな文化をもった人びとが集まります。さまざまな人種、さまざまな民族の人びとが集まります。死んだらどうなるか、の考え方も違います。これが、「宗教の違い」として意識されます。
いくつも宗教がある。それは、死んだらどうなるか、の考え方がいくつもあるということです。いくつも宗教が出てきてどうなったかというと、大部分は廃れてしまいました。けれどもそのうちいくつかは、信じる人びとの人数が増えて生き残りました。それが「大宗教」です。大宗教は、社会を丸ごと呑みこんで、文明につくり変えました。そうした文明は現在も大きな勢力を保っています。
いま、世界には、四つの大きな文明があります。どれも、宗教を土台にしています。
・ ヨーロッパ・キリスト教文明 ……キリスト教を土台にしている
・ イスラム文明 ……イスラム教を土台にしている
・ ヒンドゥー文明 ……ヒンドゥー教を土台にしている
・ 中国・儒教文明 ……儒教を土台にしている
この本では、これらの宗教が、人間は死んだらどうなると考えているのか、詳しく追いかけることにします。それぞれの宗教について調べて、もの知りになることが、目的ではありません。自分で納得して、そうだと思える考え方を、選び取ることが目的です。もしかしたら、どの考え方にも納得できないかもしれません。(最近、そういう人びとが増えています。)そういう場合には、ほかにどういう考え方があるのかも、わかる限りで紹介することにします。
この本のタイトルは、『死の講義──死んだらどうなるか、自分で決めなさい』です。こんな本を読んでいると、変な目で見られるかもしれません。縁起でもない、と。いやいや、決して怪しい本ではないですよ、と説明してあげましょう。
この本を読む理由。
死んだらどうなるかわからないので、怖くて、心配で、読むのではありません。もちろん、怖くて、心配で、困って読むのでもかまいません。でもほんとうは、しっかり生きるために読む、のです。
死んだらどうなるのか、死んでみるまでわからない。それなら、死んだらどうなるのかは、自分が自由に決めてよいのです。宗教の数だけ、人びとの考え方の数だけ、死んだらどうなるのか、の答えがあります。そのどれにも、大事な生き方が詰まっています。人生の知恵がこめられています。それは、これまでを生きた人びとから、いまを生きる人びとへのプレゼントです。
これより大きなプレゼントがあるでしょうか。私の役目は、そのプレゼントを、読者の皆さんに届けることです。
そこで、読者のみなさんに、約束します。
中学生でも読めるように、わかりやすく書きます。
少しむずかしい言葉を使うときは、説明や注をつけます。
頭に入りやすいように、かみ砕いて話を進めます。
人間が死んだらどうなるのか。この本にあるように、ほんとうにいろいろな考え方があります。そしてどれも、よく考えられています。選りどり見どりです。
人間が死んだらどうなるのか、いろんな考え方に触れるのはよいことです。とりあえずどれかに決めてみるのもよい。より深みと奥行きのある生き方を実感できます。
■新刊書籍のご案内
☆☆読売新聞書評面(2023/2/5)掲載で大きな話題!「人生を変える一冊」として読まれています!!☆☆
☆ロングセラー、重版続々!☆
西成活裕氏(東京大学教授)推薦
「この本に、はまってしまった。私たちは『死』を避けることができない。この本を読んで『死後の世界』を学んでおけば、いざというときに相当落ち着けるだろう。」
佐藤優氏推薦
「よく生きるためには死を知ることが必要だ。」
山口周氏推薦
「宗教の本質は死生観に出る。死を考えることで生を考えることができる。」
病理医ヤンデル氏絶賛
「とんでもない本だった。語彙が消失するほどよかった。」
「死」とは何か。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、ヒンドゥー教、仏教、儒教、神道など、それぞれの宗教は、人間は死んだらどうなるか、についてしっかりした考え方をもっている。本書は、現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明するコロナの時代の必読書。
宗教の、どれかひとつを選んで、死んだらどうなるか、考えてみる。ちょっとやってみる、をお勧めする。それは、運命の出会いかもしれない。とのべておきながら、反対のことを言おう。どの宗教を選んでも、結局は同じことですよ、と。
なぜか。それはどの宗教も、いまの時代を真面目に生き、でも相対主義に苦しむふつうの人びとの、プラスになるに決まっているから。科学と常識だけでは満足できなかった、ぽっかり空いたあの偶然の空白を埋めて、自分なりの確信をもって他者と共に歩むことができるから。
宗教をひとつ、選んでみなければ、宗教のことはわからない。その宗教だけでなく、どの宗教のこともわからない。その意味で、どの宗教を選んだとしても、結局は同じことなのである。
人類の最大の知的財産である宗教をわからないままで、生きていると言えるだろうか。ささやかな本書を手がかりに、宗教の豊かさを味わってくれる人びとがひとりでも多いことを願っている。(本書より)