「アンドレスに『練習からもっと君の良さを出していいよ』と言ってもらったんです」

 イニエスタから耳打ちされたのは磐田戦へ向けた紅白戦。さりげない言葉かもしれない。それでもJ1で何も実績を残していなかった古橋のなかで、不思議な力が湧き上がってきた。

「僕の良さは前へ出ていく動き。そうすると、アンドレスから必ず最高のパスが出てくるんです」

オランダからもオファーがあった古橋だが
「イニエスタとの共演」を決断

 ワールドクラスの司令塔が、無名のストライカーの潜在能力を引き出す。2年目の19シーズンには10ゴールをマーク。日本代表デビューも果たした古橋の元には夏の移籍期間中に、オランダの複数のクラブからオファーが届いた。しかし、イニエスタと共演できる環境を選んだ。

 20シーズンは12ゴール。21シーズンには前半戦だけで15ゴールを挙げ、得点王争いのトップに立っていた7月にセルティックからオファーが届いた。当時26歳の古橋は「正直、この夏がラストチャンスだと思っていた」と、戦いの舞台をヨーロッパへ移す理由を語っている。

 ノエビアスタジアム神戸で行われた移籍壮行会。花束贈呈役を務めたイニエスタは「今日は僕たちにとって悲しい日だ」と、ホットラインを築いてきた古橋へはなむけの言葉を贈っている。

「キョウゴという大事なチームメイトが、シーズンが残るなかで去っていく。同時に彼が自分の夢をかなえるために、そして成長を続けるためにヨーロッパの舞台で挑戦できることは本当にうれしい」

 あれから2年。今度はイニエスタが神戸との別れを決めた。契約を今年いっぱいまで残すなかで、7月1日の北海道コンサドーレ札幌戦を最後に退団する。イニエスタは会見で「自分はずっとここで引退する姿を想像してきた」と、愛するチームを去る理由を語った。

「イニエスタの耳打ち」が古橋亨梧を覚醒させた!自信を与えた助言とは?退団を発表した記者会見で涙を流すイニエスタ(撮影:藤江直人)

「しかし、時に物事は希望や願望通りにはいかない。自分のなかにはまだまだプレーを続けて、ピッチの上で戦い続けたい情熱がある。しかし、(クラブと私の)それぞれが歩む道が分かれ始め、監督の優先順位も違うところにあると感じ始めた。

 ただ、それがいまの自分に与えられた現実であり、リスペクトを持って目の前の現実を受け入れ、ここを去るのがベストな決断だとクラブとの話し合いのなかで決めた。

 プロ人生のなかで最も難しい決断のひとつだったが、プレーを続けたいという自分の気持ちを理解していただいた三木谷会長とクラブの方々には心から感謝している」