理念に寄りかかる集団は「宗教」と変わらない

佐宗 「生きる指針」を示す存在という意味で、理念経営をしている会社は「宗教」に似た部分があると感じます。人は必ずしもゼロから自分の存在意義を見つけられるわけではなく、一定のコミュニティで行動したり考えたりするなかで、自分自身の意義が見えてくるものですよね。その母体になるのが会社だとも言えるのではないかと。

松尾 「最強のブランドは宗教だ」などと言われますから、やはり理念経営と宗教にはどこか似ている部分がありますよね。ただ、宗教はなんとなく「頼る」感がありますから、その点が会社とは違っているように思っています。

 宗教ではどうしても「救ってほしい」「認めてほしい」「お布施したからご利益が返ってきてほしい」という姿勢があるのに対して、理念経営はあくまでも個人が自分で立って生きるためにあるんじゃないかなと。理念という矢印にみんなが寄りかかっているのでなく、それぞれの個人が矢印と同じベクトルを持ちながら独立して立っているようなイメージです。宗教というよりは哲学に近いのかもしれません。

 スープストックトーキョーを一人の人間に喩えるとしたら、その人は「世の中の体温をあげたい」と心から思っている人なんです。社員たちは、その人を頼るのではなく、あくまで自立して友達のように一緒にいる。僕がつくりたいのは、理念に「共感する」ことはあっても、理念に「頼る」ことなく、自分なりの哲学を持ち続ける集団なんですよね。

佐宗 じつはこの本をつくる過程で、僕も最終的に「理念経営とは、宗教ではなく哲学だ」という結論に達しました。そういう自立/自律型の集団が、これからは必要なのだろうと思います。

松尾 まったく同じところに行きついたのですね! じつは経営者になって以来、禅とか哲学の入門書をけっこう読むようになりました。経済性だけでは経営判断できないことって本当にたくさんありますから、ビジネスに哲学は必須ですよね。

 さらに理念は「矜持」だとも言えると思います。僕たちはスープストックを劇団になぞらえ、経営の仕事を脚本づくり、店舗をステージ、お客さんを観客、接客するメンバーを演者、スープは演目に見立てています。

「もともと観客だったけど、今度は演者になりたい!」と採用に応募してくる人はたくさんいます。でも全員がステージに立てるわけではありません。誰でもステージに立てる劇団は、プロとは言えません。そんな集団の演劇を見せられても、観客は感動しませんよね。ステージに立てるのは、「自分はどんな人間なのか」という哲学に基づいた矜持がある人だけです。

佐宗 本当にそうですね。次回は、スープストックが理念経営のために行ってきた社内での取り組みについて教えてください。

【スープストックトーキョー社長に聞く】「理念経営」と「宗教」はどこが違うのか?

(次回に続く)