「自分の感情が揺れた部分」に目を向ける問いかけ
コメンテーターとしてメディアに出るとき、ぼくに求められているのは「ぼく独自の視点」です。世間でよく言われることを語っても意味がないし、だからと言って専門的な小難しいことを語ってもおもしろくないです。
生放送の情報番組では、台本もなく、その場でとっさに答えなければいけません。ここで自分の視点を盛り込んだ発言をするためにぼくが常に自分に問いかけていた視点があります。それは「教えたいことを伝える」という視点です。
コメントを求められるとき、ぼくは常にその出来事に関してぼくが視聴者に教えたいと思ったことは何かを自問していました。
「どう思った?」と聞かれても、ほぼ何も言葉は出てきません。「どう思った?」ではなく、「この件に関して教えたいことは?」と自分に問い直します。
この「教えたいこと」は、自分の気持ちが揺れた部分に自動的に目を向かせる視点です。
人に教えたいと思うポイントは、自分の中でテンションが上がっていたり、意外に感じたことだったりします。
「どう思った?」では、それこそ「どう」表現していいかわかりません。言語化とはどう表現するかの前に、何を表現するかです。「何」に焦点が当たらないと、言葉にならないんです。
教えたいことを自分に問いかければ、自分の気持ちが揺れた「何」に目が向きます。そしてそれを伝えれば自然とあなたの視点が盛り込まれた発言になります。
冒頭の「AIアプリどう思った?」という質問を「AIアプリに関して、誰かに教えたいことは?」に言い換えましょう。
そうすれば、「AIアプリが、人間の経営コンサルタントみたいな回答をしてきて、本物の人間とやり取りしている感覚になった。かなり優秀な答えをすぐ出してくるので、もはや自分の頭脳が負けていると思った」「『猫ってなんで変なんですか?』という質問例がアプリ側から提示されていて、笑ってしまった。暇つぶし目的でも使ってもらいたいみたい」などのコメントが出てきます。
自分も相手も興味があることは「伝わる」
「教えたいこと」でなぜ自分の気持ちが揺れた部分に焦点が当たるのでしょうか?
それは「人に教えたいこと」は、誰かに共有したいこと、誰かに聞いてもらいたいこと、かつ、その人にも興味を示してもらえそうなことだからです。
自分の話を延々とすると嫌がられます。それは、その話に相手は興味を持たないからです。しかし一方で、その人が興味を持ちそうな話ばっかりしていても、「あなた」は伝わりません。あなたの価値観や考えていることは相手には伝わらない。「教えたいこと」を考えれば、自分が相手に教えたい&相手も興味を示してくれそうという、その2つが重なった部分に自然に目が行きます。
教えたいことは? と自問すれば、自分の気持ちが揺れた部分を思い出せます。そして、自分の気持ちが揺れた部分は、一般的ではないあなただけの感覚です。
これを相手に伝えることで、自分オリジナルの視点を交えて物事を言語化できるようになります。