重要なのは適性であって、年齢ではない
塩谷さんは以前は大手のIT企業(楽天)で働いていた。9年間で3部署、楽天ブックスの物流やシステム、電子書籍事業の立ち上げ、倉庫のシステム開発といった仕事を経験し、それぞれの部署で赤字事業を見事に黒字化したという得難い実績を持っていた。そんななか、既に刀で働いていたメンバーの紹介で、刀へ参画するチャンスを得ることとなったのだという。
「でもUSJで活躍された森岡毅さんのことは知っていましたが、独立して刀を立ち上げられたことは知りませんでした。だから最初は驚きしかなかったんです。ですが刀のメンバーの方々と何度もお会いして、だんだん惹かれていきました。最後に森岡と面談したのですが、最初は1時間の予定が、「まずは私がどんな人間かを知ってもらうために幼少期の話からしましょう」から始まって、それから私の5年後、10年後のことについても真剣に議論したんです。あなたのような経験がある人は経営者になるべきだ、この会社ならその事業の立ち上げから取り組むことができると。そんな話をするうちに陽が沈んで暗くなっていて、気がついたら握手していました。元の会社に嫌なことは一切なかったんです。自由にやらせてもらっていました。でもやりたいことが見つかったんです。家族はずいぶん心配したようです。刀が発足して間もないころでしたから、そんな小さな会社へ入って大丈夫なの、と」(塩谷さん)
刀では日常的に「T、L、C」の話題が出る。森岡氏が『苦しかったときの話をしようか』で提唱している人間の得意分野(T=思考、L=リーダーシップ、C=コミュニケーション)を常に意識して、お互いの強みをリスペクトしているのだ。
一般的な会社で上司に不満が集まるとしたら、「能力がないのに年齢や経験でリーダーにされてしまった人」に対するケースが多いのではないだろうか。
人間にはいろんな能力がある。戦略を考えるのが得意な人もいるだろうし、人とコミュニケーションを取るのが上手い人もいるだろう。リーダーシップそのものは、成長のため後天的に習得できる性質だと森岡氏も述べているが、もちろんこれまでの経験や生来の特性として、人によって強い人、そうではない人がいる。チームを前に進めるために、リーダーシップを持った人がリーダーを務めるのが合理的だ。
しかし一般的な日本企業では、「リーダーになる=出世」を意味するからややこしくなる。刀ではリーダーは「上下関係」を意味しない。仕事上の「役割」でしかない。それが刀の考え方だ。
「私はもともと、<コミュニケーション1本足打法>の人間だと言われていました。とにかく誰にでもよく話しかける。でも刀のメンバーから、あなたはL(リーダーシップ)が本質的に強い人だと言われて気がつきました。Lを通すための道具として戦略的にC(コミュニケーション)を使っていたのだと。刀では、その人の特性が最も重視されます。Lが強い人は若くてもリーダーをすべきだし、Cの人は交渉役や営業をします。ずっと戦略を考えているT(思考)の人もいます。年齢や社歴や性別といった表面的なダイバーシティが重要なのではなく、思考のダイバーシティが重要だというのが刀の考え方です。
私がリーダーを勤めるチームは、私が最年少でした。でもそれは「役割」の違いであって、「上下関係」ではないんです。みんなが自分の強みに自信を持って仕事をしている。もちろん人間だから弱みもあるんですが、それは他の誰かが埋めてくれればいい。それが刀の考え方です」(塩谷さん)
刀にとって医療分野は初の試みである。通常なら始動するまでにもっと時間がかかるだろう。しかし塩谷さんは医療分野でパートナーとなってくれる企業を見つけ出し、システムの根幹となるウェブのプログラムも、3社の既存のシステムをうまく組み合わせれば構築できると自ら調整した。限られた時間の中、まさに塩谷さんのリーダーシップでぐいぐいとプロジェクトを前に進めたのだ。
日本中、あるいは世界中で同じような事業を同じように進めている大企業なら、もしかしたらピラミッドのような構造の組織は有効なのかもしれない。しかし刀のように、幾つもの別のプロジェクトが同時に動いている会社では、そのような枠組みは意味がない。まして刀は、全員のメンバーが高度なプロフェッショナル集団である。年齢や社歴に何の意味があるというのだろう。
もちろん刀は、森岡氏が立ち上げた会社であり、森岡氏がCEOだ。しかし「自分をプロジェクトのいちマーケターとして使っていい」と森岡氏は断言する。それは森岡氏の矜持でもあるのだろう。
刀設立時、森岡氏は創業メンバーに会社の株を均等に分割して渡した。もし自分が暴君となろうとしたら、みんなで私を切っていいと。リーダーを暴君にしないための「仕組み」を自ら作ったのだ。
刀のような自由な発想の会社が増えれば、働くことはきっと楽しくなるだろう。そして日本の未来はもっと明るくなる気がする。
塩谷さんの実家からは、東京で暮らす塩谷さんの元へ時々お米などの荷物が届く。その中にある日、『苦しかったときの話をしようか』が一緒に入っていたという。「こういうことを考えている社長さんなら大丈夫。あなたも読みなさい」と、母の手紙が添えられていた。もちろん、とっくに塩谷さんは読んでいたのだが。