今の話を聞いて、「おいおい関係属性を考慮しているのでは?」と思った方もいるかもしれません。しかし、最初の「私のことを大切にしてくれる(尊重してくれる)人」を等しく通過してから、続いて私と相手の関係に名前をつけるだけなのです。
自分のことを大切にしてくれない人を「家族だから」「友人だから」という理由で自分の側に置き続ける意味はありません。
無駄です。
これははっきり言っておきます。
そもそも自分の人生は自分のものですから、相当なことがない限り関わる人間の決定権ももちろん自分にあるわけです。理不尽な目に遭わされたり、一方的に利用されたりするだけの関係を保持し続けることは、自分の人生にとって無益どころか有害と言えるでしょう。
考えてみれば当たり前の話ですが、関わる人間が増えていけば当然関わる人間のことで悩み事を抱えるリスクは上昇します。対人スキルの高い人は、どんどん関わる人間を増やしても良いと思いますが、コミュニケーションスキルに不安を覚えている人は誰と付き合うかではなく、誰と付き合わないのかを決めると悩みは軽減されるかもしれません。
関係を切ることは悪いことというのは間違いです。相手が悪くなくとも、自分が関係を保持し続けることで苦痛を感じているのならば、関係図からそっとフェードアウトする方がお互いのためです。
執着するな、捨てろ。
関係を切ることは悪いことではない。
まだ関係を築くのに必要な「レベル」が足りなかっただけ。
いつか私のレベルが上がったときに、また機会があれば関係を築きましょう。
これくらいでいいと思います。
他人の変化を期待せず
自分の受け止め方を変えてみる
また、他人に過度な期待を寄せるのをやめるともっと楽になるでしょう。
他人は自分と異なる人格を有する存在ですから、全て自分の思い通りに動いてくれるわけではありませんからね。自分の常識、他人の非常識です。
悩み相談を送ってくる方の中には、「相手が○○してくれない!」「○○するべき!」みたいなただのマイルールを法律のように振りかざして相手を非難される方がいますが、そういう人ほど意識して欲しいことですね。
私が大切にしている言葉に「9割他人のせい、1割自分のせい」というものがあります。これはほとんど他人のせいにして良いという意味ではなく、全てアナタのせいではないけれども、残り1割の自分の受け止め方を変えることで悪い状況は180度変わるよ、という意味です。人間関係も同様で、自分がどうするかで状況は大きく変わります。
『人生がクソゲーだと思ったら読む本 生きづらい世の中の突破術』(小学館)犯罪学教室のかなえ先生 著
相手に変化を求めることほど無駄なことはありません。
無理だと思ったら、さっさと切る。
もう少し様子を見ようと思うなら、様子を見る。
相手は相手の考えや常識があると許せる器量があるなら、そのままにする。
期待した行動を相手がしてくれなかったとき、「あぁ、この人のこういった面まで知らなかったな」と自分の認識を改めるしかありません。なぜなら、人間の内面も社会と同様に多面的に構成されている一方で、私たちはその一部分だけを観測して相手を評価しているため、ズレやバグが発生するのは仕方がないことだからです。
裏切られることを過剰に恐れるあまり、他者を惑わせていませんか?
傷つけられた経験を理由に、攻撃的になっていませんか?
人間関係の失敗は自分を成長させるチャンスです。
「自分が悪い」という単純な受け止めではなく、現状の私はどうなのか、どう改善すると良くなりそうか、という前向きな考えをベースに人間関係を築けるようになると、自然と対人スキルも向上しますし、対人関係にまつわるストレスも大幅に減るでしょう。







