テクノロジーと共生しつつ自律するための六つの視点

──そもそも「コンヴィヴィアル」とは何でしょうか。

 意味としては「共に(con)生きる(vivial)」、すなわち「共生」ですが、「異質な他者同士がワイワイと交流する」という、祝祭のようなニュアンスも含まれています。この言葉を鍵にして、人間社会の本来の在り方を掘り下げたのが、思想家のイヴァン・イリイチです。イリイチは1970年代に書かいた『コンヴィヴィアリティのための道具』という本で、産業社会の行き過ぎたテクノロジーに警鐘を鳴らしています。これが私の本の出発点になりました。

 私が特に共感したのが「二つの分水嶺」という考え方です。あらゆる道具には、人間の能力を高めてくれる「第一の分水嶺」と、行き過ぎて過剰になることで、逆に人間から力を奪ってしまう「第二の分水嶺」があるというのです。

人間とAIの「ちょうどいい関係」を生み出すために求められる姿勢とはphoto by YUMIKO ASAKURA

──人工的なテクノロジーは、二つの分水嶺に挟まれた「ちょうどいい範囲」にとどめることが重要ということですね。

 そうです。そして、それらが第二の分水嶺を越えていないかどうかを見極めるガイドラインとして、イリイチは次のような六つの視点を示しています。

 ①人間から生きる力を奪っていないか、②選択の余地をなくして人間を依存させていないか、③思考停止を招いていないか、④操作する側・される側の分断や二極化を助長していないか、⑤ものの価値を過剰なスピードで陳腐化させていないか──。最後の⑥はちょっと毛色が違いますが、①〜⑤のような弊害の前ぶれとして、人間はフラストレーションを感じるはずだ、と指摘しています。情報技術が氾濫する今こそ重要な視点ではないでしょうか。

──エンジニアやデザイナーはもちろん、ユーザーとしてテクノロジーに向き合うための補助線になる視点ですね。しかし、心構えだけではテクノロジーの暴走は止まらないのではないでしょうか。

 そうかもしれません。イリイチはそうした行き過ぎた状態に対抗するための道具として政治や法といったルール作りに主体的に関わるべきだとも述べていて、そういう意味では、例えば思考実験として「コンヴィヴィアル認証」とか(B Corpならぬ)「C Corp」のような規格を考えてみるのも面白いかもしれません。しかし、それを唯一の正義であるかのように押し付けるのはコンヴィヴィアルとはいえません。

 今、「組織もビジネスもサステナブルであるべし」という認識が大きな潮流になっています。目の前の利益を優先して過度にユーザーを依存させたり、新商品をどんどん投入して買い換えをあおったりといったやり方に、フラストレーションを感じる人も増えています。必要なときに手に入り、いつでも手放せて、人間の主体性を損なわないプロダクトやサービスこそが長期的な利益につながる──というゴールを設定することは可能だと思うのです。

──緒方さん自身は、サービスなどにAIを組み込むときに気を付けていることはありますか。

 大事にしているのは、あらゆるプロセスに人間の意志や主体性が介在する状態をデザインすることです。テクノロジーがどれだけ進化しても、そこに人間の意志や主体性がある限り、AIも人間に力を与えてくれる道具であるといえるでしょう。逆に、目的や意義まで外から与えられるものになった瞬間、その与えられたことに対して人間はAIと比較可能な存在になってしまいます。

人間とAIの「ちょうどいい関係」を生み出すために求められる姿勢とはphoto by YUMIKO ASAKURA