人工知能やクラウド技術などの進化を追い続けている小林雅一氏の新著、『生成AI―「ChatGPT」を支える技術はどのようにビジネスを変え、人間の創造性を揺るがすのか?』が発売された。同書では、ChatGPTの本質的なすごさや、それを支える大規模言語モデル(LLM)のしくみ、OpenAI・マイクロソフト・メタ・Googleといったビッグテックの思惑などがナラティブに綴られており、一般向けの解説書としては決定版とも言える情報量だ。
同書の発売を機に開始されたこの連載だが、今回より小林氏による書き下ろしで、ビジネスパーソンが押さえておくべき「生成AIの最新状況」をフォローアップしてもらう。まず取り上げるのは、ビッグテックのお膝元である米国の「AIスタートアップ」だ。

スタートアップで大成功Photo: Adobe Stock

 ChatGPTなどの生成AIはあらゆる産業分野に史上最速にして最大の革命をもたらす――そんな予感に急き立てられるように、世界の投資マネーが生成AIを開発するスタートアップ企業に集中している。

 その中心地と目される米国では今年第一四半期、未上場の新興企業全体への投資額が前年同期比で55パーセントも落ち込むなか、生成AI関連分野だけは前年同期比で15倍以上となる124億ドル(約1兆6000億円)を記録した(投資調査会社の米PitchBook調べ)。この中にはマイクロソフトが年初に発表したOpenAIへの追加出資額100億ドルが含まれているが、それを差し引いても前年同期比で2倍以上の金額となる。

 第二四半期に入ってから、生成AI関連のベンチャー投資はさらに加速している。

 5月にはChatGPTのようなチャットボットを開発する米アンソロピックが4億5000万ドル(約550億円)、6月には同じくチャットボット開発の米インフレクションが13億ドル(約1900億円)の調達を発表して注目を浴びた。これによりインフレクションの時価総額は40億ドル(約5600億円)となり、1年前の3倍以上に跳ね上がった。

 一方、カナダではビジネス向けのチャットボットや検索エンジン等を手掛けるコーヒアが、今年5月に2億5000万ドルを調達して時価総額が約20億ドルに達した。

ビッグテックに一騎打ちを挑む生成AIの大型企業

 これら生成AI関連のスタートアップ企業は2種類に大別される。

 一つは元々グーグルやOpenAIなど主力企業で働いていた技術者・研究者らが、自ら起業して独自の生成AIを開発するケースだ。前述のアンソロピックやインフレクション、コーヒアなどがそれに該当する。

 アンソロピックは元OpenAIの研究者7名、インフレクションは元グーグル傘下ディープマインドの共同創業者ムスタファ・スレイマン氏らが新たに立ち上げた企業だ。

 またコーヒアはかつてグーグルでインターン(実習生)として働いていたエイダン・ゴメス氏らがトロントで創立した企業だが、同氏は生成AI革命の起爆剤「トランスフォーマー」の技術を提案した論文「Attention is All You Need」の共著者でもある。

 これらの企業はスタートアップとは言え、いずれも業界内では名の通った有力研究者らのネームバリューによって巨額の資金を調達することができる。また卓越した研究開発力や、そのための計算機資源などでは他を寄せ付けない強さを誇る。ただし生成AIの技術力はあっても、それをお金に換えるビジネス・モデルは持ち合わせていないため、業界内ではバブルを懸念する声も聞かれる。

 それらの一つであるインフレクションが開発したチャットボット「Pi(パイ)」は、現役の物理学者と「超弦理論」など最先端の素粒子物理学に関して丁々発止の議論を戦わせることができるほどの言語能力、そして広範囲に渡る深い専門知識を誇る(ただし未だ日本語には対応していない。基本的には英語やフランス語、ドイツ語など欧州系言語での利用に限られる)。

インフレクション社Piインフレクション社ウェブサイトより

 この能力を支えているのは、同社がこれまでに確保した3500個以上の米エヌビディア製の先端GPU「H100」からなる豊富な計算機資源だ。これはビッグテックの一角をなすメタ(旧称フェイスブック)が所有する約1万6000個には及ばない。しかしインフレクションはエヌビディアと親密な関係を築いていることから、もうすぐ約2万2000個のH100を調達する予定とされる。

 このインフレクションに代表される大型の生成AIスタートアップは、OpenAIの「GPT-4」やグーグルの「PaLM 2」等に対抗して、独自の大規模言語モデル(LLM)を開発し、グーグルやマイクロソフト、メタなどのビッグテックに正面から対決を挑む(LLMは様々な生成AIのベースとなる技術)。

 仮にこれらのスタートアップのいずれかがビッグテックを押し退けて、新たなインターネット利用のプラットフォームへと成長すれば、投資家にとって、その見返りは莫大な金額となる。それ故に、これらの企業に投資するベンチャーキャピタル(VC)などは、現時点のビジネス・モデル不在には目をつむって将来の可能性に賭けているのだ。

 ただし、その挑戦は一筋縄ではいかない。ビッグテックに対抗できるような本格的LLMの開発には少なくとも5億ドル(650億円以上)が必要とされ、(前述の)アンソロピックやインフレクションなどのスタートアップがいくら巨額の資金を調達したところで十分とは言えない。

(前述の)グーグルを退社してコーヒアを創業したゴメス氏は、自社製LLMの開発に必要な計算機資源を十分に確保できなかったことから、その数ヵ月後にグーグルを訪れ、同社のクラウド・コンピューティング資源を有料で使わせてもらえるよう頭を下げた。これに対し、グーグルのサンダー・ピチャイCEOが鷹揚なところを見せてOKの返事を出したとされる。

 このエピソードからも見て取れるように、LLMを中心とする生成AIの研究開発や商用化において、巨額の資金と膨大な計算機資源を有するビッグテックが有利なポジションにあることは間違いない。

「LLMはビッグテックから調達」と割り切るアイディア中心企業

 これら大型の生成AIスタートアップは全体から見れば一握りでしかない。それ以外の大多数は、もっと小振りで敏捷な企業だ。

 これら新興企業の創業者らは特にAIに強い思い入れを抱いているわけではない。つい最近まで暗号資産やメタバース関連のビジネスを手掛けていたが、ここに来てChatGPTなど生成AIが盛り上がってきたので、素早く、こちらに乗り換えたというような起業家も少なくない。

 いわゆるシリアル・アントレプレナー(連続起業家)などと呼ばれるタイプで、技術力よりも過去の起業経験や説得力のあるプレゼンなどでエンジェル投資家やVCなどから資金を調達する。

 こうした起業家の多くは「AI」や「機械学習」などの技術的な専門知識を有していない。むしろ生成AIを使って、どのようなサービス(アプリ)を消費者に提供するか――そのアイディアで勝負しようとしている。

 また生成AIビジネスに必須のLLMは、OpenAIやグーグルなどが提供するAPI(他社のソフトを利用するための窓口)を経由して入手すればいいと割り切っている。当然、グーグルやマイクロソフトなどビッグテックに対抗しようとする気は毛頭ない。

 ニューヨークに本社を構えるコスター(Co-Star)社は、そんなスタートアップ企業の典型だ。同社は生成AIを使った「星占い」のスマホ・アプリを商品として提供している。

Co-star社画像Co-star社ウェブサイトより

 その販促活動として最近、マンハッタンのダウンタウンにある有名な雑誌店にコインランドリーのような姿をした大型の占星術マシンを設置した。このマシンには黒く丸い覗窓が設けられており、その表面には「太陽」や「月」、さらには8つの惑星などの神秘的なデザインが描かれている。

 同マシンにはまた、操作用の黒いボタンやトグル(つまみ)なども設けられており、「星に聞け」というメッセージも記されている。

 入店した客が、この占星術マシンに自分の生年月日と共に様々な質問を入力すると、マシンは生成AIの技術を使って回答する(ただし、これらの質問はマシンに予め用意された100種類の問いの中から、客がトグルを回して一つを選んで入力する)。

 たとえば「私の弱点は何?」と聞くと、「貴方の弱点は、完璧主義者で新しい誰かとの交際に慎重過ぎること。拒絶されて傷つくことを過度に恐れていては道は開けません」といった回答が、ちょうどコンビニで買い物したときのレシートのような紙に印字されて出力される

 本来、スマホのアプリ内課金で提供される星占いの販促材との位置付けから、入店した人なら誰でも無料で占星術マシンを使える。動画共有サイトTikTokなどで紹介されたことで大人気を博し、同マシンが設置された雑誌店の前には、ニューヨーク市内の中高生や大学生、各地から訪れた観光客などを中心に、いつも長蛇の列ができているという。

 この占星術マシンに使われている生成AIは、OpenAIが提供するGPT-3を星占い専門のデータベースでカスタマイズしたLLMを採用している。ChatGPTと同様、全く同じ質問をしても異なる答えが返ってくる。

 ニューヨークでの大成功に気を良くしたコスター社は、今年秋からはロサンゼルスでも占星術マシンを使った巡業を計画しているという。日本にも数多くのAIスタートアップが生まれているが、それらの参考になるのは恐らくコスターのようなアイデア中心企業であろう。その成功は大きな励みにもなるはずだ。