二次加害による沈黙を
未来に残さないために

 著名人に対する告発へのセカンドレイプで典型的なのが、「加害者」の功績を強調したり、その功績は告発で汚されることはないとか、功績と加害行為は別であるなどと言いたてたりするものだ。

 けれど、そこに足りていないのは、その著名人が自分の功績や権威を利用して、弱い立場の人を思い通りにしていたという視点だろう。その功績こそが、関係性の強弱を強化し、被害者に声を上げにくくさせていた。さらに言えば、その功績をたたえる人の存在が、被害者に沈黙を強いていた。考えればわかることだ。

 著名人に対して恩を感じたり、その人物の人格を称えたりする人の気持ちまでを制限することは当然ながらできない。しかし、これまでの「忖度」がどちらに向かって行われていたかを考えれば、このタイミングでの著名人の功績への言及が、いかにバランスを欠いたものかがわかる。

 また、性被害をそれ以外の暴力や殺害行為、戦時化での暴力などと比べて軽視することも、セカンドレイプの典型的な行為だ。

 まず、性暴力を受けた人のPTSD発症率は40〜60%といわれる。これまでは基本的に暴力や脅しを用いて性的行為に及ぶことのみがレイプと考えられてきたが、今年7月に改正刑法が施行され、「不同意性交」は深刻な暴力だという認識が広まりつつある。

 さらにいえば、平和であるはずの日常の中で、守ってもらえると思っていた大人から性的な行為によって裏切られることは、子どもの心に大きな混乱をもたらす。また、多くの人から信頼されている大人からの加害行為を、子どもは「加害」と認識しづらい。だからこそ長年にわたって苦しむし、声を上げるまでに時間がかかる。

 ジャニー氏の件に限らずとも、権力者に対する告発は容易ではないのだから、存命中に声を上げられなかった事実はむしろグルーミングが成功していたことの証左である。そして存命中に加害行為が明らかにされなかった原因は、被害当事者ではなく、報道しなかったマスコミや、薄々気づいていながら黙殺したジャニー氏と親しかった大人にこそ向けられるべきだろう。

 もう謝罪をしているのだから許すべきだという言説も、被害者に向けられがちだ。

 しかし、許すか否かは当事者だけが決められるもので、強要されるべきものではない。そして、このように多くの人が気づいていながら黙殺した権力者による加害行為は、事実をできる限り明らかにした上で検証し、再発防止を行う責任が社会にはある。この点を曖昧にしたままの終結はあり得ない。

 性暴力を行った人がどのように責任を取り、社会はどのように再発防止策を講じていくべきなのか。今の日本社会はまだ答えを持っていない。だからこそ、議論を一歩も二歩も後退させる二次加害的な言説にあらがい、真摯に被害当事者の声と向き合わなくてはならない。