2016年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの奇跡』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。
「許せる」範囲が広がれば、この世から争いはなくなる
人間が怒ったり、腹を立てたりするのは、「正義感」や「使命感」から生じていることが多いようです。
自分が正しくて、相手が間違っていると思ったときに、人間は腹を立てます。
「自分はちゃんとしているのに、ほかの人はちゃんとしていないじゃないか」と他人を糾弾しはじめた瞬間に、じつはそれが「怒り」「憎しみ」の源になってしまいます。
一般的に「正義感」や「使命感」を持つことは、よいことだと思われていますが、そういうものを持った人は、喜びや感謝よりも、多くの憎しみ、怒り、苛立ちを、宇宙に投げかけることになります。
「裁く者は裁かれる、裁かぬ者は裁かれない。許す者は許される、許さぬ者は許されない」とキリストは言ったと、テレビで放映しているのを見ました。
この言葉を私は、次のように解釈しています。
「裁く者の心は砂漠。許す者の心はラクダ」
自分の気に入らない人を裁いているとき、裁く者の心は、不毛で、うるおいのない、「砂漠」のような状態になっています。
私たちがこの世で問われているのは、他人の人生に干渉することではありません。「自分がどう生きるか」です。
人を裁いて、「許せない、許せない」と狭い心で糾弾しているよりは、「そういうこともある」とニコニコ生きているほうが「ラク」です。
「正義感」や「使命感」が強ければ強いほど、生きるのが苦しくなります。なぜなら、自分以外の人を「許せないから」です。
年間100回以上講演会をしていた人の中で、「小林正観がナンバーワン」といえるものがひとつだけあります。それは「使命感のなさ」です。
よく私の講演会のはじめに、みなさんにお伝えする約束事があります。「眠くなった人は、寝てしまってかまいません」と。
「寝ている人がいるという理由で腹を立て、講演の途中で帰ってしまった講師がいた」という話を聞いたことがあります。
しかし、私の場合は、寝言、イビキ、歯ぎしりをしていてもかまいません。携帯電話の電源も切らなくていいです。
話の途中の入退場も自由、飲食も自由、体がなまった人は体操、動き回るなども自由です。相手にも自分にも、緊張を強いるのは、「本質」ではありません。
私は、何かを聞いてほしいとか、世の中に何かを伝えたいとか、生き方の提案をしているわけではありません。
「いい話だった」と言われても、誰も笑顔にならないような講演会なら、やりたくないと思っています。
私自身は多い年で年間330回ほど講演の依頼がありましたが、「正義感」や「使命感」は0%。ただ「頼まれる」ので、すべて断らないでやっているだけです。
それが、自分にとってもっとも「ラク」な生き方なので、淡々と話をさせていただいています。
私のように「人間はそもそも、たいしたものではない」と認識している人は、他人を糾弾しないし、憎んだり恨んだりしません。
一方で、正しいことを行っている人は、「正しい」ということをベースにものを考えたときに、人を裁きたくなります。
ですから、「正しい人」にならないほうがいいようです。「正義感」「使命感」を持って生きるよりも、自分の「心の許容範囲」を拡げてしまうほうが、楽しく生きられるのではないでしょうか。