また、その一方で警察は今後、「無差別襲撃事件の発生時は、警告なしに警官が実弾使用することも辞さない」という見解を示した。これは、連続して起きた事件の影響の大きさと国民の不安を考慮して対応したものだろう。一度、社会的な問題が起こると、迅速に議論や法の改正整備が進められるのは韓国社会の特徴でもある。死刑制度についても何らかの変化があるのか、注目したいところである。
豊かで便利な社会でありながら
満たされない閉塞感を抱えるMZ世代
前述の事件の特徴として注目されているのは、いずれの事件の容疑者も韓国で「MZ世代」(編注:ミレニアル世代とZ世代を合わせた呼び名)と呼ばれる10~30代の若年層であることだ。
すべての事件の全容が解明されているわけではないが、事件の容疑者たちが家庭環境や精神疾患など何らかの問題を抱えていたこと、劣等感や疎外感を感じ、挫折を経験したことで現状や社会に対して強い不満を抱いていたことも共通点として報じられている。
昔に比べ、韓国は格段に豊かになった。物があふれ、生活も格段に便利になったが、現代の子どもたちや若者たちにとっては「生きにくい世の中」なのだろうかと考えてしまう。幼い頃からデジタル社会の中で育ち、SNSを開けばキラキラした投稿ばかりが目につく。物質至上主義やハイスペックな世界を目にし、それが「価値観」や「幸せ」の基準になりがちであること、また常に競争やマウントがつきまとっていることなど、一見、恵まれているように見えながらも精神的には満たされることなく閉塞感を抱える社会であることも決して無関係とは言い切れないであろう。
このような事件は韓国以外でも起こり得るだろうし、容疑者や社会だけを非難するだけでは解決しない。しかも、デジタルネイティブの若者たちの価値観や閉塞感のある社会という点は、日本社会も共通していることが気になってしまうのだ。