忘れてはいけない権力監視の目
報道は市民を守る番犬であれ

 松川は防衛省の報告書にあやしさを感じ、徹底的にチェックしてこの問題を見つけだした。

 秋田市新屋演習場しか適地がないというのは本当だろうか、間違いやごまかしはないかという権力チェックの姿勢で見るということだ。

「そうすれば、ある程度のスキルを持ったジャーナリストは絶対に気付く。僕しか気付かなかったのは、同じような考え方であの報告書に臨んでいた人がいなかったからではないでしょうか」

 だが、疑問の目で見るのは、揚げ足を取るように思われないだろうか。

書影『事実はどこにあるのか』(幻冬舎)『事実はどこにあるのか』(幻冬舎)
澤康臣 著

「僕はこの仕事は社会の中でも特殊な場所を占めている仕事だと思っているんです。『特別』な場所じゃないですよ。特別というと上の方という印象がありますが、そうでなく『特殊』。特殊な仕事は世の中にいっぱいありますが、僕らも特殊で、権力監視的な姿勢から『本当のところはどうなの、ちゃんと皆さんやっているのですか』と……独立した報道機関の立場から徹底的に見るという特殊性です。これは代わりがきかない。警察がやってくれるわけでもない。だから僕らはその本分に従って徹底的にやっているだけなんです」

 報道が果たす役割のことを、英語で「ウォッチ・ドッグ」、つまり番犬という。素直で誰にでもなつくかわいい犬はみんなに好かれるが、市民の生活を防衛する役には立たない。あやしいのではないかと疑ってかぎ回り、いざとなればほえ、かみつく犬は愛されないが、市民を忠実に守る良い番犬だ。うとましく思われるのも仕事のうちか。

「でも紙面を見れば分かりますが、むしろ政府のやっていることをただ右から左に書いているような記事が多くを占めている。全体としたらそういう中で、でも私たちの本分はいろいろなものを検証していく姿勢、それが我々の根っこなんです」