組織のトップになるべき人がトップになるべき
マキャヴェリの『君主論』を持ち出すまでもなく、このような「恐怖による支配」は暴君が自分の力と地位を保全するために用いる手法である。
中国の随の煬帝、唐の武則天(則天武后)など歴史上にも典型的な例がいくらでも転がっている。「たまたま街路樹が目についた」といった「気まぐれ」や「予測不可能性」も、周囲に自分の行動を予期させず、常に不安にさせておくために不可欠な属性であり、重要な組織の統治術なのである。
ただし、恐怖で縮こまらせるばかりでは組織を運営し物事を進めることはできないので、一方では、「アメとムチ」の「アメ」の施策も実施する。暴君の意向に沿った形で成果を出したものに対しては、大きな報酬を与えるのだ。
その恩恵に浴する第一の存在が、二代目の取り巻きであり、二代目のお気に入りの若手幹部である。古参社員を退職か閑職に追いやり、そこにどんどん新しい若手を登用する。彼らにとっては二代目こそが会社の象徴であるため、二代目に限りない忠誠心を発揮する。そして、この二代目の取り巻きやお気に入りにとっては、下手をすると、社会の法や倫理よりも、二代目の指示が最優先事項なのである。
組織がこのようにいびつになった、とどのつまりが企業不祥事の出来(しゅったい)なのである。リスクマネジメントの仕事をしていると、二代目社長の企業不祥事を扱うことが多いが、構図はいつもかなり似ている。
社長に限らず二代目の芸能タレントは世の中にあふれているが、ほとんど成功していない。親の血は受け継いでいても、成功するとは限らない。二代目社長も本来は同様であろう。
もちろん大成功する人もいるが、そうした人はおそらく二代目でなくても成功する人だ。いわゆる高学歴であるとか、ビジネススクールに通っていた経験があるかどうかといったことは実際にはどうでも良いことだ。やはり組織のトップはトップになるべき人を選ぶべきなのである。
(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)