2016年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの奇跡』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。

ありがとうの奇跡Photo: Adobe Stock

「涙を流す」か「汗を流す」か、大変さはどちらも一緒らしい

 ある男性から、次のような相談をいただきました。

「私の友人が、ある日、突然、母親を交通事故で亡くし、嘆き悲しんでます。この友人を助けてあげたいのですが、どうすればいいのでしょうか?」

 実は、小林正観は、母親を心臓麻痺で、突然、亡くしています。その後、父親がくも膜下出血で倒れ、1年半の闘病の末に亡くなりました。

 母親が、突然、死んだときには、ショックが大きくて、たくさんの涙を流しました。「どうして、もう少し長生きしてくれなかったのか…」と悲しみました。

 ところが、父親のときは、心の準備ができていたので、涙はあまり出ませんでした。ただ、寝たきりの父親を看病をするのは肉体的に大変でしたから、涙のかわりに、「汗」をたくさんかきました。

 母親と父親の死を経験して、わかったことがあります。それは「流す涙の量と汗の量は同じみたいだ」ということです。

 流す「水の量」は一緒で、両方を同時に味わうことはできないみたいです。

 突然死のときは看病がないので、肉体的には看病をして汗をかくことはありません。けれど、精神的につらくて、たくさんの涙を流します。

 一方で、闘病生活が長いと、肉体的にあれこれ動いて、たくさんの汗をかきます。けれど、心の準備ができます。

 では、どちらがつらく大変なのかというと、どちらも同じ。「精神的な大変さ」と、「肉体的な大変さ」を秤にかけると、どちらも大変さは同じみたいなのです。

 体内から出てくる「水」を、「涙」と呼ぶか「汗」と呼ぶか、呼び方が違うだけで、本質的には何の違いもないのかもしれません。

 大変さはどちらも一緒であり、「こうであったら悲しくて、こうであったら悲しくない」ということは、どうやら、ないようです。

 私はこの男性に、「友人を助けてあげたいのなら、あなた自身がどう生きるかが大切です」とお伝えしました。

 友人を何とかするのではなく、自分自身が今、この瞬間から、つらいことや悲しいことがあっても、いつもニコニコ元気よく、楽しげに、幸せに生きていけばいい。

 もしも、この男性が、「毎日、嬉しくて、楽しい姿」を友人に見せ続けたら、友人もきっと、「真似をしてみよう」と思い、ニコニコしはじめるのではないでしょうか。

 友人が真似をするくらい、自分が喜び、楽しみ、幸せそのものになってしまう。

 すると、まわりにいる人も、それを真似て、ニコニコ元気よく、楽しげに、幸せに生きようとして、悲しんでいる人がいなくなるのではないでしょうか?