夫が家族全員分のハンバーグを…
食い尽くし行動が起きてしまう原因

「食い尽くし系」の実態を端的に伝えるのは、X(旧ツイッター)で11万いいねがついてバズっている次のポストであろう。

<旦那2、私2、娘1の配分で食べようと晩御飯にハンバーグを5個焼いたんです。
そしたら娘がお茶をこぼしたから、片付けて着替えさせて戻ってきたら、旦那が5個ともハンバーグ食べてたんです。
娘の小さいハンバーグまで貪ってる姿を見たらゾッとしました。>(@genkaitoppa216

 その後の投稿によると、どうやら夫の分が皿に、残り3個(妻の分2個、娘の分1個)はフライパンに載っていたらしい。妻は席をはずす前に、自分たちの分を食べないように夫に伝えたので、このケースでは夫に他者の料理を横取りしている自覚はあったことになる。

 食卓を同じくする他者(上の例では妻と娘)への配慮を持つことなく、全てに優先して己の食欲を満たそうと目の前の物を食い尽くす―――これが「ザ・食い尽くし系」である。

 これは「食い尽くし系」の原型とでも呼ぶべきサンプルで、理解しやすいし、ひどさも伝わりやすいので、我々のような第三者が見て批判がしやすい。モラルハラスメント(モラハラ)の一形態であり、その幼児性や身勝手さを憎むことには、言ってみれば正当性がある。程度の差はあれモラハラに苦しめられる人は多く、その分共感も得られやすいし、モラハラを悪と認定することに現代の社会はおおむね異存ない。すなわち、今回の場合の食い尽くし系は自動的に悪となる。

 だが、食い尽くし系の人たちを「モラハラ」や「悪」で一くくりにしてしまうのもやや乱暴かもしれない。食い尽くし行動が単なるモラハラの発露ではなく、発達障害や精神疾患に起因している可能性もあるからである。

 発達障害に関する認識は近年少しずつ広まってきているが、理解が深まっているとは言えず、筆者もきちんとそのニュアンスを咀嚼(そしゃく)できているわけではない。しかし、知識として「努力や気合で完全な解決を図れる類いのものではない」と理解はしている。だから、発達障害由来の食い尽くし行動をとがめる姿勢には、花粉症の人に向かって「自己管理が至らないから花粉症になるのだ」と責めるような不毛さが宿っていると感じられる。

 もっとあり得るところでは、食い尽くし行動が育った環境に由来するケースである。たとえば、親の皿の料理を自由に食べていい家庭や、生きるために大皿に盛られた料理の争奪バトルを兄弟間で毎食繰り広げていた家庭で育った子どもには、「人が食べる分を残してあげる」という尺度が、元より備わっていないかもしれない。

 こうした人たちと食卓を共にする場合は、当事者間で話し合って、今後その食卓で採用していくシステムを「大皿オープン争奪制」とするのか、はたまた「不可侵・小皿事前取り分け制」なのかを決定すればよい。

 しかしその話し合いも、入り口から「食い尽くし系のお前は悪」と食ってかかってしまえば、相手も気分を害してまとまる話もまとまらなくなってしまうかもしれないから注意した方がよい。

 また、「多めの量の料理を用意して残り物となった分を常備菜に回したい妻と、供された料理はその場ですべて食べきるべきだと考えていた夫のすれ違い」といったケースもあり、うまく話し合えれば解決できそうな希望の光もうかがえる。

 だから、食い尽くし行動を引き起こしている原因の慎重な見極めは、まず行われたいところである。原因がわかれば有益なアプローチ方法もおのずとしぼれるであろう。

 なお、食い尽くし行動を改めるのが難しい場合は、「食い尽くし行動をなくす」をゴールとせず、食い尽くし行動が起こりうるという前提でお互いが気持ちよく過ごせる仕組みを模索するのが良いのではないだろうか。