2001年に経営学分野で最高峰の学術雑誌『アカデミー・オブ・マネジメントレビュー』上で発表されて以来、アントレプレナーシップや価値創造など幅広い領域に大きなインパクトを与えてきた「エフェクチュエーション」についての日本初の入門書、『エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」』が発売されました。
多くの人にとっては耳慣れない「エフェクチュエーション』という概念について知っていただくため、本連載では同書の一部を紹介していきます。第4回は、ソニーの携帯用音楽プレイヤー「ウォークマン」を題材に、「エフェクチュエーション」と、相反する概念である「コーゼーション」の違いを見ていきます。
発見される事業機会
ソニーの携帯用音楽プレイヤー「ウォークマン」には、WM1シリーズという最上位のフラグシップモデルがあります。2016年9月に、「NW-WM1Z」と「NW-WM1A」の2ラインナップで登場し、実売価格はそれぞれ32万円前後、12万9千円前後と、歴代のウォークマンで最高水準であったにもかかわらず、ユーザーからも高く評価される製品となりました。
その特徴は、独自開発した技術や部品、上質な素材を採用して、高音質の音楽再生を実現したことにありました。当時もスマートフォンの国内普及率は5割を超えており、多くの人々は、スマートフォンの音楽再生アプリで音楽を聴いている社会環境がありました。
しかし、そうしたなかでもスマートフォンの音質では満足できない、高音質への強いニーズを持つ音楽愛好者のセグメントが存在していることをソニーは発見し、彼らをターゲットとしてWM1の開発を成功させたといえます。こうしたプロセスは、マーケティング・リサーチなどの意図的な努力によって、まず満たされていないニーズや潜在的な市場を発見し、それを満足させる製品・サービスを開発することで新しい市場を創造する、まさに、コーゼーションの進め方であるといえます。
一方で、同様のプロセスによって、1979年に発売された世界で最初のウォークマンが開発できたか、を考えてみると、そうではないことが理解できるでしょう。
今日だからこそ、通学・通勤の電車のなか、あるいはランニング中など、移動しながら音楽を聴きたいと思うことは当たり前になっており、実際に、携帯音楽プレイヤーのうちMP3プレイヤーだけでも世界で年間1億1500万台以上が販売されています。しかし、最初のウォークマンが普及するまでは音楽は室内で聴くことが当たり前であり、仮にマーケティング・リサーチを実施したところで「ニーズは存在しない」と判断されていた可能性もあるでしょう。実際にウォークマンの発売を検討した際のソニー社内でも「絶対に売れない」という声があったといいます。つまり、初代ウォークマンの成功は、消費者のニーズのような市場機会を発見できたことにあったのではなく、むしろ製品だけではなく、それを必要とする人々の生活様式まで創造したことにあったといえるでしょう。
同じような状況は、いわゆる「イノベーション」と呼ばれるような、その成功によって社会・経済環境に大きな影響を及ぼした製品・サービスの開発プロセスでは、しばしば観察されています。たとえば、まだ主要な交通手段が馬車であった20世紀の初頭に、累計1500万台以上も販売され、産業と交通に革命をもたらした自動車「T型フォード」の開発者であるヘンリー・フォードの言葉といわれるものに、「もし人々に何が欲しいか尋ねたら、彼らはより速い馬と答えただろう」があります。
似た意味の発言として、スティーブ・ジョブズが『ビジネスウイーク』誌のインタビューで語ったといわれる、「多くの場合、人々はそれを見せるまで、自分が何を望んでいるのかわからない」という言葉を思い起こした人もいるかもしれません。
いずれも、革新的製品に対して顧客のニーズがあらかじめ存在したわけではない、と彼らが考えていたことを示唆する言葉です。それでは、そうしたイノベーションは一体、どのようなプロセスによって生み出されるのでしょうか?
創造される事業機会
再び、初代ウォークマンの話に戻りましょう。ソニーの前身である東京通信工業は、1950年に国産のテープレコーダー「G型」を初めて開発した会社であり、1960年代からは、フィリップス社のコンパクトカセット規格のテープレコーダーの製造・販売を行っていました。ウォークマンは、1978年にすでに販売していた手のひらサイズのポータブルモノラルテープレコーダー「プレスマン」から、スピーカーと録音機能を省き、ステレオ再生専用ヘッドに置き換えステレオの再生に特化させた製品として誕生したのでした。
また、当初から新製品としての発売を念頭に開発されたわけではなく、誕生のきっかけは、当時名誉会長であった井深大氏が、出張中の旅客機内できれいな音で音楽が聴けるモノを個人的に作ってほしいと考えたことでした。当時の井深氏は、教科書サイズに小型化したステレオ録音機「TC-D5」を愛用しており、海外出張の機内ではヘッドホンでステレオ音楽を楽しんでいましたが、携帯用としては重すぎたため、「また出張なんだが、『プレスマン』に、再生だけでいいからステレオ回路を入れたのを作ってくれんかな」と、大賀典雄氏(当時副社長)に持ちかけたといいます。大賀氏から依頼を受けたテープレコーダー事業部長の大曽根幸三氏はすぐに、部下にプレスマンから録音機能を取り去り、ステレオ再生が可能なように改造させ、有り合わせのヘッドホンを付けた改造を施しました。急ごしらえの改造版プレスマンの音質を、井深氏はすっかり気に入り、当時会長だった盛田昭夫氏にも聞かせたところやはり気に入り、そこに可能性を感じて商品化を命じたのでし。
こうしたエピソードからは、ウォークマンにとっての事業機会は、すでにどこかに存在していた潜在ニーズを綿密な調査によって発見したものではなく、意図的に機会を探す行動が採られたわけでもないことがわかります。むしろ機会は、井深氏をはじめ、それに関わった人々が自分にとって有意味で価値があると考えることを実行した、予期せぬ結果として作り出されたものでした。
つまり、自分たちがすでに活用できる一組の手段が所与として存在しており、そうした既存の手段を変換することによって新しく意味のあるものを作り出そうとした成果が、世界中の人々の生活様式を変えるイノベーションを生み出したといえます。これは、予測ではなくコントロールによって新たな価値を創造する、エフェクチュエーションのプロセスであるといえるでしょう。
だからこそ、仮にあなたが世界を変える仕事をしたい、イノベーションを生み出したい、という大志を抱いていたとしても、そのためのアイデアの閃きや機会(チャンス)の到来を待つ必要はありません。イノベーションの機会は、社会経済環境の変化に伴って生じた潜在ニーズや、新しい技術の開発や移転、規制の緩和・強化を含む制度変化、あるいは純粋な閃きのなかから発見されることも確かにあるでしょうが、一方で、あなた自身の個人的な満足や不満足、すでに確立された技術、経験に基づく知識やたまたま耳にした情報、過去に却下されたアイデアからも、しばしば生み出されるのです。
そしてアイデアそれ自体よりも、それを形にして他の人々からのコミットメントを得る行動が、より重要です。なぜならば、あるアイデアが優れたビジネスになるかどうかを確かめる唯一の方法は、その製品・サービスを必要としてくれる顧客や、その実現可能性を高めるために自らの資源・能力を提供してくれるパートナーを獲得することを通じて、アイデアの実効性を高めることでしかないからです。