住まいについて
損ばかりの秋篠宮家

 上皇陛下の退位に伴って仙洞御所(上皇のお住まい)が必要になった。(1)上皇陛下がそのまま御所にお住まいになり、新しい陛下は吹上御所を改築して新御所とする、(2)上皇陛下が既存の皇室施設を利用した新御所に移られる、といった選択肢があった。上皇ご夫妻は小さくても快適な住まいに引っ越され、秋篠宮皇嗣殿下が旧東宮御所に引っ越されるのが順当だった。

 仙洞御所の候補としては、香淳皇后の崩御で空き家になっている旧吹上大宮御所、旧高松宮邸だった高輪皇族邸、秋篠宮邸、京都大宮御所、那須や葉山の御用邸といった場所もあり得た。

 欧州諸国では、国王が退位した後、郊外の小さな邸宅に移り、スタッフもごくわずかになっている。ところが、上皇陛下の退位は、いかなる性格のものか議論されないまま、陛下の希望をかなえるという流れが先行し、安倍内閣はあと追い的に法的な整合性をとることに苦労した。欧州諸国での「高齢による退位と完全引退」とその対極である「かつての院政」のイメージのどちらなのか、どれほどのコストがかかるかなどの議論はタブー視された。

 結局、上皇陛下がどんな役割をされるか曖昧なまま、上皇職は侍従職の80人体制をほぼ継承、東宮職の50人体制から新侍従職は80人体制に、秋篠宮家の20人体制は東宮職に準じて50人の皇嗣職に、となった(人数は退位直後のもの)。

 となると、上皇陛下のお住まいも80人の職員を受け入れられねばならず、また、上皇ご夫妻にとって住み慣れた東宮御所が好都合ということになって、東宮御所を仙洞御所とすることになった。

 いずれにせよ、秋篠宮家では質的にも皇嗣にふさわしいだけでなく、家族数も多いのだから東宮御所以上の規模が必要になった。しかも、それまで、経費節減マインドが強い秋篠宮殿下が規模拡大や、ぜいたくな設備導入に難色を示されてきただけに改修規模は大きくなった。

 新婚当時の秋篠宮邸は、1931年に乳人官舎として建てられ、1968~89年まで、昭和天皇の三女で未亡人だった鷹司和子さんが特別の思し召しで住まれていた床面積105平方メートルの木造平屋建ての庶民的な住まいだった。その後、秩父宮妃殿下が亡くなったので、その旧宅に移ったが、未亡人一人の住まいだったから狭かった。