だが、「増税メガネ」というあだ名はいささか特異だ。本人の容姿風体や行動の特徴ではなく、メガネが注目されて、あだ名となっている。

 今や、政治家であっても他人の容姿を論じること自体が問題視される可能性があるが、思い切って容姿を論じるなら、岸田首相は大きな欠点のない端整な顔立ちだ。背が高いし、太ってもいない。国際会議などでの写真映りは悪くない。顔や身体にあだ名にしやすい特徴がないから、メガネが注目されたと考えることはできる。

 だが、愛情やユーモアが一切感じられない、驚くほど冷たい印象のあだ名だ。

 例えば、電車の中で、見知らぬ同士の2人の一方が他方に、いきなり「おい、そこのメガネ」と声を掛けたとしよう。かなり険悪な雰囲気になるだろう。声を掛けられた側は、人格を一切無視して雑に扱われたという気持ちになるからだ。

 岸田首相が「メガネ」と呼ばれることに対して、自分は少なくとも愛されていないし、人間として雑に扱われていると感じて心が痛んでいるのだとすると、それは正常な反応だ。

まだ実行していないのに
なぜ「増税」が見透かされるか

 しかも、「増税メガネ」というあだ名の特異な点は、岸田首相本人がまだ増税を行ったわけではないのに、「どうせ増税したいのだろう」と見透かして確信したかのように「増税」をあだ名にされていることだ。

 これは、かなり悪意のこもったあだ名の付け方だともいえるが、まだやっていないことにこれだけ焦点を絞られるのはなぜかを考える価値がある。

 話は、前々回の自由民主党の総裁選挙、前回の総裁選、そして岸田氏の首相就任直後にさかのぼる。

 当時の安倍首相からの禅譲期待が外れて菅義偉氏に敗れた前々回の総裁選で、岸田氏はいわゆるアベノミクスに対して批判的だったし、財政再建を強調した。また、前回の総裁選では、安倍派の支持を得るためにリフレ政策に反する緊縮財政的な主張を封印したが、総裁の椅子を争った河野太郎、高市早苗の両氏と比較すると財政再建論寄りの印象は否めなかった。