「ファン」から「推し」へ
推し活がしやすい現代

 もちろん、まったく別のジャンルに「推し」を見つけてジャニーズから離れていく人もいる。ある女性はバレーの高橋藍選手の見た目にすっかりやられて、そちらに鞍替えしていったそうである。ワールドカップバレーのオフィシャルサポーターは今年を除いてジャニーズのグループが務めてきたが、ジャニーズを追っかけた先で見かけたさらなるマイ推しに、心を持っていかれた格好である。

 現代は、「推し」という言葉が出てきたことによって、誰かを推す活動(それが具体的な行動を伴わず、心の中で応援するだけでも)がしやすい世の中になったというのが私見である。

「推し」に相当する単語といえば、以前なら「ファン」であろうか。両者の違いは主体の濃淡である。「高橋藍のファン」と自称するとき、自存在(主体)はファンという集合体の中に埋没して語られる。一方「高橋藍の推し」または「推しは高橋藍」という自称では、自身が推しているという行為、つまり自存在に焦点が当てられている。

「ファン」の自称にも、自分が集合体の一員であることをあえて宣言する誇らしさや自己同一性はあるのだが、SNS全盛でより個人が尊ばれる現代では、「推し」の方が時代の趣向に合っているのであろう。

 推し活がしやすいこの時代において、ジャニーズ一強の神話が崩れた今、離れていくファンにとっては次の「推し」を見つけやすいかもしれない。

 長年ジャニーズのファンだが、ものすごく熱狂的というわけでもないと自己分析するCさん(アラフォー女性)は、「今まで数え切れないくらい『ジャニーズ』という言葉を発してきたから、それが言えなくなるのは残念」ではあるものの、「性加害は決して許されないし、補償や被害者へのケアは絶対に誠実にしてほしい」として、社名変更を受け入れる姿勢である。

 Cさんに、他のジャニーズファンについての印象を尋ねた。