「熱狂的なファンほど、ジャニーズ問題では冷静でいられなくなりがち。

 ファンが『守りたい』のは推しだけど、たとえばジャニーズ問題を離れて、親が『自分の子どもを守りたい』と思うとき、つい冷静さを失ってしまうことも珍しくないわけで、『守りたい』対象はそれぞれ違えど、そうした傾向は皆の中に大なり小なりあって、お互いに理解できる部分があるのではないか。ただ、今のジャニーズファンの中には、人を傷つけたりとか明らかにやりすぎだと感じられたりする人もいるので、くれぐれも自戒が必要。

 ジャニーズ問題を見ていて苦しく感じられるのは、『ファンvs. 非ファン』のような対立姿勢が目に付くところ。相手に共感できないにしても、『その人なりの考えや感性があるのかな』とどこかで受容できるポイントを探すつもりで向き合って、もうちょっとゆるくやれればうまくいくこともあるのではないか、という気がする」(Cさん)

「ファンvs. 非ファン」という
幻想の対立構造

 これは、非ファンである筆者にとっては新鮮な視点であった。確かに、今までジャニーズファンについて考えるとき、「ファンと非ファン」の2者を、ほぼ無意識に二極化してみなしてきたことが自覚された。

 ジャニー喜多川氏の性加害問題は、本当に多くの方面で「誰々のアウトプットが『至れり』か『至らず』か」で、ずっと炎上したりしなかったりしているわけだが、ことファンを切り取って見るとき、必ずしも「ファンvs. 非ファン」の対立構造を想定しない方が、大らかな気持ちでこの局面に向き合えていいかもしれない。何しろ、性加害それ自体を肯定するつもりは誰もないのである。

 事が事だけに「みんなで仲良く手を取り合って」的な結末の絵空事を主張するつもりは毛頭ないが、楽にできる部分はぜひ、楽にしていきたいところである。