アメリカの政治家は「お金を要求」できる
日本とは桁違い

 アメリカで生活をした人ならばわかると思うが、アメリカの選挙は日本とは桁違いに金がかかる。わかりやすいのは、NHKの特設サイト「アメリカ大統領選挙2020」内の「政治に最も必要なのは金」(2019年11月15日)というコラムだ。

《前回のアメリカ大統領選挙で、共和党のトランプ陣営と民主党のクリントン陣営が集めた選挙資金の総額は、およそ9億3620万ドル、日本円にしておよそ1013億7520万円にのぼる》(同上)

 なぜこんなにアメリカの選挙はカネがかかるのかというと、選挙は国民参加の巨大イベントなので、宣伝広告費がバカみたいにかかるのだ。

《以前は、テレビなどの広告は候補者陣営の政治団体が制作し、団体への献金は個人からに限定され、その上限は年間5000ドルに限られていた。しかし、2010年に、連邦高等裁判所は候補者から独立した政治団体への献金に金額の上限を設けるのは自由を尊重するアメリカの建国精神に反するなどとして、憲法違反だと判断。このため、資金力のある個人や大企業から政治資金をいくらでも集められるようになった》(同上)

 いくらでも集められるということは、アメリカの政治家は自分を支持する企業や団体に対していくらでも「カネをよこせ」と要求できるということでもある。

 一方、日本はどうか。若い人はご存じないだろうが、かつて日本でも政治家が団体に「カネ」を要求できた。しかし、リクルート事件や東京佐川急便事件など、「政治とカネ」スキャンダルが続発し、なんとも日本らしいこんな解決策が提案された。

「国民がコーヒー1杯分程度の税金を払って、それで政治家を食わしてやれば、政治家はカネの心配がなくなって汚職がなくなるのでは」

 今思えば「旧ソ連か」とあきれるような狂気の沙汰だが、当時の日本人はみんなピュアで、「それはナイスアイデアだ!」と大賛成。こうして今、我々が政党に「みんなで好きに使ってね」と血税315億円をプレゼントする「政党助成金」という制度が生まれたわけだ。

 言うまでもなく、自由と競争の国・アメリカには、こういう社会主義的な発想はない。だから、政治家は自力で企業や団体からカネを集める。逆に言えば、カネを集められない人はどんなに優秀でも政治家になれないのが、アメリカだ。だから、トランプ氏やペンス氏はいろんな政治イベントに多額のギャラで登壇する。

 こういう日米の政治家の「カネ」の感覚の違いをガン無視したまま、「トランプは3億もらっているのに、安倍元首相はタダで出演とは闇が深すぎる!」とか騒ぐのは、あまりにも強引な気がしてならないのだ。