時々、アイドルの振り付けなどが話題になることがある。ぱっと見が簡単でキャッチーだから、なんとなく自分も踊れるような気になったことはないだろうか。しかし、実際に踊ってみると全然上手に踊れない自分に愕然とすることになる。なぜそのようなことが起こるのか。それは、脳の「流暢性効果」の影響だ。イェール大学の心理学教授であるアン・ウーキョンの著書『イェール大学集中講義 思考の穴──わかっていても間違える全人類のための思考法』では、こういった脳の勘違いやバイアスなどについて詳しく説明されている。本記事では、本書の内容をもとに認知バイアスとその対策について解説する。(構成:神代裕子)

思考の穴Photo: Adobe Stock

つい「自分にもできる」と思ってしまう

 2016年に放送された大人気ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』。このドラマのエンディングでは、出演者たちが歌に合わせてかわいいダンスを披露して話題となった。

 軽快な振り付けだったし、ダンスが本職ではない俳優陣も踊っていた。だから、筆者も「私にもできそう」とうっかり思ってしまい、見様見真似でチャレンジしたことがある。

 しかし、実際に踊ってみると、そのできなさ加減にびっくりしたものだ。

「何度も見ているし、もうちょっと踊れると思ったのにな……」と、自分にがっかりしたのを覚えている。

 そもそも筆者はあまり体を動かすことは得意ではないため、考えてみれば踊れなくて当たり前だった。しかし、なぜか当時は「あれくらいなら私にも踊れるだろう」と思い込んでいたのだ。

容易に理解できることは、簡単そうに思える

 本書によると「頭のなかで容易に処理できるものは、人に過信をもたらす」という。そうして生まれる過信のことを「流暢性効果」(りゅうちょうせいこうか)と呼ぶ。

 これが、なんでも「自分ならできる」と考える「口だけの人」を生み出してしまう原因だ。

 著者であるイェール大学心理学教授のアン・ウーキョンは、授業で生徒に韓国の人気グループBTSの「Boy With Luv」のミュージックビデオを見せて、そのダンスができる人はいないか、挑戦者を募るのだそうだ。

 それもほんの6秒程度の部分を10回以上見せて、賞品まで提示する。すると何人もの学生が「自分にもできる」と手を挙げる。

 結果はもちろん、実際に踊れる人はほとんどいない。

 見るだけなら簡単でも、実際にやってみると難しいのだ。しかし、プロがやすやすと踊っているのを何度も見ると、自分にもできると思ってしまう。これぞ流暢性効果による錯覚だ。

 この「流暢性の錯覚」は、スピーチなどでも発生するという。さまざまな分野の専門家が講演するTEDトークもその例として、本書に挙げられている。

 トークの長さは18分が一般的で、原稿にするとわずか6~8ページほどでしかない。

 講演者はそのテーマの専門家であるし、みんな流暢に話す姿が印象的だ。即興で話している人もいるのではないかと思わせるほどである。

 しかし実際は、そんな簡単なものではない。

スピーチの指導者は、一般にTEDのような形式の講演には、最低でも1分あたりにつき1時間のリハーサルが必要だと教える。つまり、60回は練習するのだ。(P.27)

 講演者はかなりの努力をしているのだが、登壇時には流暢にわかりやすく話す。だから、私たちは「きっと簡単に話せるのだろうな」と勘違いしてしまう。

ふわふわのスフレや美しいボディラインといった、完璧な形状や素晴らしい見た目の何かが当たり前のものとして目の前に現れると、それが完成するまでの過程についても、「流暢にできるもの、調子よくやすやすと進むものに違いない」との誤解が生まれる。(P.26)

流暢性がもたらすバイアスとは

 流暢性がもたらす錯覚は、ダンスやスピーチといった「スキル」に関わることだけではない。「知識にまつわる部分にも影響を及ぼす」と、アンは指摘する。それは次のようなものだ。

人は新たな知見を得たときに、それが見出された経緯を知ると、その知見が事実だと信じる気持ちが強くなるのだ。(P.28)

 新たに得た知見が「そんなまさか」と思うことでも、もっともらしい説明を聞くと、その知見を事実だと信じる気持ちが強くなるのだという。

 たとえば、次のようなことだ。

「ジョン・F・ケネディを暗殺したリー・ハーヴェイ・オズワルドはCIAのエージェントだった」という陰謀論は突飛すぎるように思えるが、「CIAは大統領の共産主義への対処を憂慮していた」との説明が加わると、説得力が増す。(P.30)

 また、「流暢性効果はたちの悪い不合理な錯覚も招く」とアンは語る。

 株式の名称が市場でのパフォーマンスへの期待度合いに影響を及ぼすかを調べた研究がある。なんと、「名称」にも流暢性効果が生じると言うのだから驚きだ。

 ある実験で、発音しにくい架空の名称の株式と、発音しやすい架空の名称の株式を考案し、実験の参加者に名称だけを情報として与えたところ、発音しやすい(つまり流暢性がある)名称の株式のほうが高く評価されたのだ。

 このように、中身や実態に関わりなく、流暢さで「正しい」「良い」といったバイアスがかかってしまうのは困りものだ。

 この流暢性の影響を受けずに過ごすことはできないのだろうか。

一言「やってみて?」と聞くだけですべてがわかる

 流暢性による錯覚を打ち破るための方法について、アンは「単純に、実際に試したうえで、流暢にいかないとの実感を得るのもひとつの手だ」と提案する。

 当たり前のようにも聞こえるが、頭の中で「できそうだなあ」と思っていることを実際に試す人は、意外にもあまり多くないからだ。

 また、人は自分自身が持つ知識の範囲についても過信する。そのため、「自分の知識を書き出すと過信が軽減される」と実証した研究もあるという。

 確かに、社会情勢や社会問題も、内容を理解しているつもりでいても、具体的に人に説明しようと思うとうまく話せないことが多い。

 書き出してみることで、わかっている気になっているだけなことに気がつくのだろう。

 まわりに「自分はわかっている」といわんばかりの人がいたら、一言「具体的に説明してもらえますか」と聞いてみるだけで、相手が「本当にわかっている人」なのか、「わかっていると思い込んでいるだけの人」なのかどうかがわかる。

 ダンスやスピーチなどのスキルについても、「やってみてもらえますか」と一言聞くだけで、その人が「本当にできる人」なのか、「できると思い込んでいるだけの人」なのかは一瞬でわかる。

 人は、脳の流暢性による錯覚によって、自分が思っている以上に「できるつもり」「理解しているつもり」になってしまうものなのだ。

 このことを知っておくだけで、人はもっと謙虚になれるし、もっと他人の意見に耳を傾けることができるようになるだろう。