テレビ・ネットで「日本のウォーレン・バフェット」と話題! 1936年(昭和11年)、兵庫県の貧しい農家に4人兄弟の末っ子として生まれた。高校を出してもらってから、ペットショップに就職。そこでお客だった証券会社の役員と株の話をするようになった。そして19歳のとき、4つの銘柄を買ったことが株式投資の始まりだった。あれから68年、バブル崩壊では10億円あった資産が2億円にまで減った。しかし今、資産は18億円まで増え、月6億円を売買しながら、デイトレーダーとして日々相場に挑んでいる。隠しごとなしに日常生活から投資法まで全部書いた話題の書『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え 資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものをお送りする。
神戸の一等地にある
ペットショップ
就職先のペットショップは、神戸市中央区にある国鉄(現・JR)の元町駅の近くにありました。
神戸の街を訪れたことのある方ならわかると思うのですが、神戸を代表する百貨店・大丸のすぐ隣で、横浜でいう中華街に当たる「南京町(なんきんまち)」の入り口という一等地です。
ちなみに、当時ペットショップがあったところは、いまはスイーツショップになっています。
ペットショップで株に出合う
南京町はいまでこそ有名な観光地になりましたが、私がペットショップで働いていた1950年代当時は、第二次世界大戦の神戸大空襲で受けた壊滅的な被害からまだ立ち直っておらず、神戸港に来航する船員向けのバーなどが立ち並ぶ退廃的な空間でした。
ペットショップで売る動物も、船員たちが国外から持ち込んでくる生き物を買い取ることが多かったのです。いまでは完全な違法行為ですが、当時はそれが普通でした。
株を始めたのは、そのペットショップのお客さんに証券会社の人がいたからです。
カナリアの餌を買いに来た石野証券(現・SMBCフレンド証券)の役員でしたが、雑談をしながらいろいろと株の話を聞くうちに「自分もやってみたい」と思うようになったのです。
コイン集めからの株式投資
もともと希少価値の高いコインを集めるのが好きで、なんとなく日本経済にも興味があったので、その延長線上といった感じでした。それに、動物好きな人に悪い人はいないですからね。
それから、石野証券に立ち寄り、株を買うようになりました。当時、企業の資金調達手段は銀行からの借り入れが基本だったので、株式市場はそれほど活性化しておらず、個人で株を売買している人は多くなかったように記憶しています。
少なくとも、いまのように個人投資家がたくさんいる状態とはかけ離れていました。
※本稿は、『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え 資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。