テレビ・ネットで「日本のウォーレン・バフェット」と話題! 1936年(昭和11年)、兵庫県の貧しい農家に4人兄弟の末っ子として生まれた。高校を出してもらってから、ペットショップに就職。そこでお客だった証券会社の役員と株の話をするようになった。そして19歳のとき、4つの銘柄を買ったことが株式投資の始まりだった。あれから68年、バブル崩壊では10億円あった資産が2億円にまで減った。しかし今、資産は18億円まで増え、月6億円を売買しながら、デイトレーダーとして日々相場に挑んでいる。隠しごとなしに日常生活から投資法まで全部書いた話題の書『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え 資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものをお送りする。
バブルの波に乗る
経営していた雀荘を売り、専業投資家になったのが1986年。その後、すぐにバブル景気が始まりました。
1985年に1万3000円ほどだった日経平均株価は、1987年に2万円、1988年には3万円を超え、1989年に過去最高値である3万8915円を記録しました。
ちょうどこの時期に専業投資家になった私は“バブルの波”に乗り、資産はうなぎ上りに増えていきました。
ブラックマンデー
でストップ安
ただしこの間、景気の良い話だけではありませんでした。1987年10月には「ブラックマンデー」が勃発。
ブラックマンデーとは、香港の市場を発端に世界の主要市場で株価が暴落した出来事です。
日経平均株価は、翌火曜日に前日比3836円48銭安となり、あらゆる銘柄がストップ安の状態に陥りました。
私は女房に大阪の証券会社に行ってもらって、なんとか売れるだけ売ろうとしましたが、売買を受け付けてもらえませんでした。
バブルはあとから
振り返ってわかるもの
当時のことはいまでも鮮明に覚えていますが、なす術がなかったですね。ただし水曜日には2000円以上値を戻し、半年後には株価が回復。そのままバブル景気に戻りました。
いま振り返ってみれば、やはりバブル期の株価は異常でした。企業の実力以上に評価されてしまっていた面が多分にあると思います。
ただその渦中にいると、なかなか「おかしい」とは気付けないものです。そもそもバブルというものは、あとから振り返って、結果としてわかるもの。
私自身も、バブル崩壊の足音に気付くことはできませんでした。
10億円あった資産が
2億円に激減
相場が崩れるときは一瞬です。「あー」と思っている間に株価はどんどん下がります。バブル絶頂期に10億円ほどあった資産は、バブルの崩壊時には一気に2億円ほどまで減りました。
相場は動くものだという覚悟はありましたから、どうしようもないほどのショックを受けたわけではありませんでしたが、それでもしばらくは投資に身が入りませんでしたね。
10億円あったものが、5分の1の2億円まで一気に減ったのですから……。そんなときに相場を張っても負けます。しばらくは、おとなしくしていました。
※本稿は、『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え 資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。