安倍元首相の「対露外交」は
時を経て成果をもたらした

 まずは一度、中東情勢から離れて論を進める。

 故・安倍晋三氏は、首相在任時にウラジーミル・プーチン露大統領と27回も会談した。だが、結果的に「北方領土の返還」を実現できなかった。

 目立った成果につながらなかったことから、この対露外交は失敗だったと評されることが多い。それでも筆者は「対露外交」こそ、安倍外交において特に評価できるポイントではないかと考えている。

 というのも、22年に勃発したロシア・ウクライナ紛争では、欧米諸国がロシアへの経済制裁を相次いで実施した。それに対するロシアの報復も行われ、事態は混迷を極めた。

 ところが、日本も「対ロシア経済制裁」を行ってきたにもかかわらず、ロシア極東における石油・天然ガス開発事業「サハリンI・II」の権益を維持することができた。

 ウクライナ紛争の開戦当初、ロシアが三井物産や伊藤忠商事など日本勢から権益を奪い、中国やインドなどに渡すことが危惧されていた。その心配は杞憂(きゆう)で終わったわけだ。

 その背景には、ロシア側の事情があったとみられる。

 筆者の恩師で、日本・北朝鮮を専門とする地域研究家である英ウォーリック大学のクリストファー・ヒューズ教授は、かねて「ロシアは、極東・シベリアが中国の影響下に入ってしまうことを懸念しているのではないか」と指摘していた(第84回)。

 ロシアは極東・シベリア開発で、中国とのパイプラインによる天然ガス輸出の契約を結び、関係を深めてきた。しかし中国との協力関係は、ロシアにとって「もろ刃の剣」だ。シベリアは豊富なエネルギー資源を有する一方で、産業が発達していない。なにより人口が少ない。

 そこへ、中国から政府高官、役人、工業の技術者から、清掃作業員のような単純労働者まで「人海戦術」のような形でどんどん人が入ってくるとどうなるか。シベリアは「チャイナタウン化」し、中国に「実効支配」されてしまう。ロシアはこれを非常に恐れていたのだ。

 ゆえに、ロシアは極東開発について、長い間日本の協力を望んできた。中国だけでなく、日本も開発に参加させてバランスを取りたい――。これがロシア側の本音だったのだろう。

 その要望に応え、ロシアへの経済協力に取り組んできたのが安倍首相(当時)だ。

 16年、安倍氏とプーチン大統領は日露首脳会談を行い、エネルギーや医療・保健、極東開発など8項目の「経済協力プラン」を実行することで合意した。官民合わせて80件の共同プロジェクトを進めるもので、日本側による投融資額は3000億円規模になった。過去最大規模の対ロシア経済協力であった(第147回)。