自分のいるいまこの瞬間を
写真のように言葉で切り取る

 インタビューした1人は、マイヤ・ストゥジンスキさん。キーウ在住で、ヴェルナツキー国立図書館で、国際図書部のジュニアフェローとして働き、父と暮らしている。

―俳句を詠みはじめたのはいつからですか?

 私はウクライナ作家同盟の散文マスタークラスで散文を書いてきました。長編小説や短編小説です。そこで俳句クラブを長年運営していたガリーナ先生と知り合いました。私と彼女は、互いに書いているものについて話し合いました。その当時は、自分が俳句のような単語の少ない形式に切り替えるなんて、想像していませんでした。私はストーリーを作るのが好きでしたから。

 でも、パソコンの前に座って長いテキストを書いているときにいつも感じていたのは、自然の中にいて、匂いをかいで、色彩を見て、鳥の声を聴いているときに感じるような、生きているという実感があまりないということでした。それから自然の風景写真を撮るのに熱中するようになったのですが、写真を撮るのが好きな気持ちと文章を書くのが好きな気持ちを、どう結びつければいいのか、わからないままでいました。

 そんなときにガリーナ先生が声をかけてくれたのでした。最初は全然うまくできませんでした。いまでも本当に良い俳句が詠めているのか自信がありません。私は、俳句が自分のいるいまこの瞬間を描写する必要があるということを理解していませんでした。

 いつも、何かストーリーを考え出そうとしていたのです。言葉も多すぎました。徐々に、自分が自然の中の瞬間に溶け込むようになりました。湖のほとりにやってきて、そこにたたずむと、すべてがとても美しくて、何も余計なものを考え出す必要はありません。写真のように、ただ言葉でこの感覚を記録すればいいとわかったのです。

 頭の中で書き留めるにはほんの数秒あれば十分です。私の自然に対する愛と、何かを書きたいという気持ちと写真が同時に結びついたのです。

満月や
鷺の孤独な
声ひとつ

―この俳句についてお話してください。

 私はこの句が好きです。これは、かなり簡潔に表現することができた最初の作品の一つです。

―とても美しいです。

 まだ暗い夜明け前の時間ですが、目が覚めて、サギが鳴くのを聞きました。サギは夜には鳴かないはずなので、もしかすると何かに怯えたのかもしれません。まだ大きな月が空に残っていました。なぜか、このサギは誰かを呼んでいるのかもしれないと思いました。