もう誰にも止められない…「わかりやすい教」は無敵

 このような「わかりやすい」の意味の拡大は、コミュニケーションにおいて「わかりやすい」を常に最優先すべきという考え方が、全世代に浸透してしまったことが背景にある。いまや深くてもその理解に骨が折れる発言をする人は「小難しい人」「面倒くさい人」「屁理屈を言う人」として忌避される存在になった。

 もともとは、TVというメディア特性に由来する、短時間での直感的な理解の過度な重要視から始まり、現在ではスマホというメディア特性の要請による、短く単純な文章の必要性によって、この現象が加速していると考えられるが、もう誰にも止められない。「わかりやすい教」は無敵である。

 そして、こんなふうに「わかりやすい教」に異議を唱える私にしてからが、(特に)スマホで文章を読む場合は、単純な直線的な論理構造(たとえば、事象→原因→対策)で、かつ文字数は2000字くらいまででないと「わかりにくい」とイライラして読むのをやめてしまう。

 よって、今回ばかりは、普段の連載の半分くらいの文字数でこの記事を終了したいと思う。主張したいことはただ一つ。「わかりやすい」といった多義性のある言葉ではなく、もう少し意味が限定された語彙を使ったほうが、受け手に「わかりやすく」「正しく」伝わるので、言葉選びの訓練をしよう。

 以上である。

(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)