なお、スタートアップM&Aでは、ここまでの説明とやや矛盾するように聞こえるかもしれませんが、時に投資家も驚くような高値が付くケースもあります。対象会社の人材、技術、データベースといったアセットが、買い手企業自身の事業戦略の遂行に寄与すると期待されているケースです。
最近では、DeNAがキャラライブアプリ運営のIRIAMを評価額150億円で、医療ICTのアルムを評価額500億円で子会社化した件などが世間の注目を集めました。特に競争の激しい業界で戦う買い手の場合、「必要なアセットを自社で育てるよりも買ってきた方が早い」「対象会社を競合に買われるとダメージが大きいので、買われる前に自社で買ってしまいたい」といった事情があれば、そこに対象会社単体での企業価値とは別次元の価値が生まれます。前者は「再構築原価」、後者は「防御価値」と言われるものです。
新たな市場を拓くことに挑むスタートアップだからこそ、その過程で獲得したオリジナリティの高いアセットが、既成企業にとっての魅力にも脅威にもなり得るのです。
キーパーソンの確保:グループイン後もさらなる高みを目指せるモチベーション設計を
企業価値算定と並んで、スタートアップM&Aで重要なポイントになるのがキーパーソンの確保です。先に述べたとおり、スタートアップは事業も組織も未成熟なフェーズにあるだけに、起業家自身をはじめ、限られたキーパーソンへの依存度が高く、彼らが抜けると事業が回らなくなるリスクを抱えています。買い手が同業であれば、代わりの人材を派遣する展開もあり得ますが、創業者のカリスマが失われた穴は埋まらないかもしれません。
M&Aによって創業者は株の売却益を手にし、報酬面では1つのピークを迎えます。その後も高いモチベーションを保ち、買い手のもとで大きな結果を出してもらうためには、相応のインセンティブ設計が必要になります。このため、スタートアップM&Aでは、キーパーソンが一定期間会社に残るよう契約に盛り込んでおくこと(キーマンクローズ)が一般的です。また、譲渡対価の一部を業績連動制にして、成約から一定期間後の業績に応じて支払うスキーム(アーンアウト)が使われることもあります(これは買い手にとっては、M&A失敗時のリスクを軽減する、2段階に分けることにより買収資金調達のハードルを下げるといった目的もあります)。
報酬以外の面でも、M&A経験の豊富な買い手企業はさまざまな仕組みを設け、創業者やメンバーのモチベーションを引き出しています。親会社の幹部にもなれるようなキャリアパスを用意することもその1つです。Zホールディングス代表取締役社長Co-CEOの川邊健太郎氏のように、もともとM&Aでグループにジョインして親会社の社長になった例もあります(スタートアップの電脳隊をヤフーに売却)。また、ソフトバンクの孫正義氏のようなカリスマ経営者を擁する買い手であれば、「〇〇さんと一緒に仕事ができる」ことも、売り手経営者にとっては大きな魅力になり得ます。