「アーティストや職人さんを取り巻く状況を改善しようとしている会社はたくさんあります。ただ、その多くが“国内”だけを見ていて“海外”を見ていなかったんです。少子高齢化が進んでいき、どんどんマーケットがシュリンクしてゆく日本国内だけでビジネスをするのではなく、いかに彼らの作品を海外に持っていくかを考えなければいけません。それができる人が業界内にいないことが大きな課題だと感じました」(三木氏)

そこから三木氏はグローバルを意識したキャリアに方向転換。イスラエル専門商社で新規事業開発マネージャーとして働く。その後、中・高校生向け ITプログラミング教育サービスを手がけるLife is Tech ! (ライフイズテック)のメンバーとして、アメリカ進出の戦略立案に従事した。

スーツケースを2つ持ち、単身でロサンゼルスへ

領域の異なる会社でさまざまな経験を積んだ三木氏は、「職人の技術を生かした和菓子のブランドを海外で立ち上げよう」と思い、2019年9月に渡米。2つのスーツケースに荷物を詰め込み、貯金の200万円と航空券を持ってロサンゼルスに飛んだ。

渡米後、すぐに和菓子づくりに取り組み始めた三木氏だが壁にぶつかる。日本の食材とアメリカの食材が異なるため、レシピ通りに形にならず味が美味しくならなかった。三木氏は「職人さんにお願いしてレシピ開発をしてみたのですが、うまくアメリカナイズできなかったんです」と当時のことを振り返る。

「ただ、職人と対等に話せるようになるまでは自分でできることから始めよう。そう思い、まずはYouTubeを見ながら頑張って和菓子をつくり始めたんです。最初の2カ月は砂糖の量を5g単位で変えたり、温度を1度ずつ変えたりしながら200通りのレシピを試していました」(三木氏)

 

商品のプロトタイプが出来上がったタイミングで、三木氏は現在の共同創業者に出会う。それが会計事務所EY(旧:アーサー・ヤング)・サンフランシスコ支部初の日本人スタッフを務めたほか、カプリチョーザやハードロックカフェなどを運営するWDIのアメリカ法人立ち上げ、CFO(最高財務責任者)を務めた遠藤昭彦氏だ。

両者に全くの接点はなかったが、三木氏がハウスメイト募集の書き込みを掲示板で見つけ、たまたま入居したら、そこが遠藤氏の家だったという。

そんな遠藤氏にMisaky.Tokyoのプロトタイプを見せてみたところ、「これは面白いと思う」ということで、共同創業者として事業に参画することになった。