そこで、すべての仕事のうちの2割ぐらいは、あえてチャレンジしてリスクを取るように振り向けたほうがいいかもしれません。私の大学時代の友人には、大企業の役員クラスが少なからずいます。彼らに「中途採用で欲しいのはどういう人?」と尋ねると、ほぼ一様に「自分でリスクを取って行動できる人」という答えが返ってきます。相応のキャリアを積んできた人に期待するのは、言われたことをきちんとこなすことではなく、組織に新風を吹き込むこと。それも闇雲に突っ走るのではなく、経験を踏まえて計算した上でチャレンジできること。たしかにそういう人には、誰もが期待したくなるでしょう。

 結果的にうまく行かなかったとしても、その経験が引き出しとして蓄積できればプラスマイナスゼロ。将来の成功の布石になるとすれば、個人にとっても組織にとっても明らかにプラスです。まして周囲から「深みがある人」と評価されるとすれば、他に何を望む必要があるでしょうか。

自らの能力をひけらかさない人の「深み」

「能ある鷹は爪を隠す」ということわざがあります。自分だけ目立とうとしたり、自慢したりといった言動を戒める意味で使われることが多いようですが、こういう人は、特に日本では敬遠されがちです。概して控え目で謙遜気味なほうが、その場は丸く収まります。これこそ「深み」であるという意見も少なからずありました。

 たしかに自分について多くを語らない人は、奥ゆかしい感じがします。きっと何か深い部分があるのだろうと推察したくなります。ただし爪を隠し続けることは、諸刃の剣でもあります。発信の手段がいろいろある昨今、ある程度は自らアピールしなければ、奥ゆかしさを感じてもらう以前に存在を認知されないかもしれません。それはそれでもったいない気がします。むしろ実力以上に自慢して、褒められたいという意思をむき出しにするぐらいでも、それを愛嬌と受け取ってもらえる可能性があります。

 例えば、「江戸っ子だってね」「神田の生まれよ」「寿司食いねぇ」のセリフで知られる浪曲「石松三十石船道中」の話。幕末の侠客・清水次郎長の子分である森の石松が、次郎長に頼まれた用事を済ませ、大坂の淀川で三十石船に乗って伏見へ向かっているときのこと。その船上で、次郎長を褒め称えている客と出会います。気分の良くなった石松が自分の酒と寿司をすすめると、やがて「次郎長が親分でいられるのは子分が強いから」という話になる。