ますます嬉しくなった石松が「子分のうちの誰が最強か」と尋ねると、客は「大政、小政、大瀬半五郎…」などと挙げていきますが、肝心の石松の名が出てきません。不機嫌になりながら、それでも酒と寿司を差し出してしつこく尋ねると、客はようやく「石松を忘れていた」と答えます。しかし有頂天になる石松に向かい、客はさらにひと言付け加えます。「あいつは街道一のバカだからね」

 森の石松の言動に、「深み」は微塵もありません。しかし、嫌な印象を持つ人もいないでしょう。「気持ちはわかる」「感情を隠さないところが清々しい」などと親しまれるキャラクターだと思います。爪を隠し続けて誰にも気づかれないぐらいなら、いっそ石松路線を狙ってみるのも一つの手です。その上で能力もしっかり披露できれば、周囲から信頼されることは間違いありません。

「深み」を身につければ
上機嫌な日々が手に入る

 ここまで、人間の「深み」とは何か、アンケートの結果をもとに考えてきました。さまざまな意見がありましたが、共通しているのは「経験が深みを生む」ということです。それも、特異な経験がなければダメ、というわけではありません。もちろん特異でもいいですが、平々凡々な暮らしの中にも「深み」はあるようです。

 だとすれば、中高年なら誰でも「深み」を持てるわけです。ふつうに働き、家庭を築き、子どもを育てることも経験でしょう。あるいはそれ以前に、単純に老いること自体が若者にはできない人生経験です。人生の秋・冬を過ごすことが味わい深さをもたらします。一見すると平坦でも、人それぞれに“ドラマ”があったはずです。

書影『「深みがある人」がやっていること』『「深みがある人」がやっていること』(朝日新聞出版)
齋藤孝 著

 ただし、それだけでは足りない。プラスアルファとして、自身の来し方を振り返りつつ、今を楽しんだり将来に希望を持てたりしてこそ、「深み」が増すのだと思います。さしあたり自問すべきは、「上機嫌かどうか」。年齢を重ねるにつれて気持ちが塞ぎ、周囲から不機嫌に見える人は少なくありません。年齢的にいろいろあきらめたり、世の中の動きに不満があったり、将来を悲観したりして、そうなる気持ちもわかります。

 しかし一方で、高齢でありながら上機嫌な人もいます。それは私の知るかぎり、地位やお金や家族関係などとは関係なく、上機嫌になる方法を知っているから。その方法の一つが、「深み軸」を持つことです。私たちはどうすれば「深み」にハマり、そして周囲から「深みのある人」と見られるようになるか。それが上機嫌への道だとすれば、探らない手はないでしょう。