お金持ちの家に生まれ育ち、大学を卒業して間もなく結婚。3人の子どもを授かるも離婚した。実家に出戻ったものの、父親の会社が倒産し、49歳で住む家を失ったついには預金通帳の残高がほぼ0円に……それまでとはうって変わって赤貧生活に陥り、裸一貫で整体院で働くようになった。自分の力で人生を切り拓いてきたとき、今度は末期寸前のがんを患うことに。そんな波乱の人生を乗り越えて「今がいちばん幸せ!」と断言する『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)の著者が、毎朝起きるの楽しくなるライフスタイルを【人間関係】【食事】【睡眠】【健康】【メンタル】【ファッション】【インテリア】【パソコン】とテーマごとに紹介する。
※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

【71歳ひとり暮らし】当たり前だと思っていたけれど…「1日3食」をやめて変わったこと写真:川瀬典子

食事の回数を
減らしてみた

末期寸前のがんが癒えて食欲が出てきたころから、私は体が喜ぶ食事のとり方についての情報をたくさん集め、いろいろ試してみるようになりました。

最初に試したのが、食事の回数を減らすことです。

幼いころは父の意向で、朝食の時刻は7時半と決められていましたし、昼食抜きなんてもってのほか。

1日3食を規則正しく食べるのが当たり前と教えられてきて、そのことになんの疑問も抱いていませんでした。

1日3食をやめて
体調がよくなった

ところが、試しに規則正しく3回食べるというのをやめてみたら、体が軽くて、お通じもスムーズになり、深くて質のいい睡眠がとれるようになったのです。

私は自分のことをなんでも自分流にアレンジするのが得意な人間だと思ってきました。

ところが体をつくるもとになる「食」に関しては、意外と世の中の常識とされているものを疑いもせずよしとしていたのです。

自分は意外と
わかっていない?

自分のことは、わかっているようで意外とわかっていないものだと素直に感じました。

まるでお題目のように生徒さんたちに「自分の体の声を聞くようにしましょう」とか「自分の体が喜ぶことをしましょうね」などとお伝えしていましたが、私自身、何もわかっていなかったんだなと反省しきりでした。

単なる思い込み
にご注意を

ほかにも「単なる思い込みだった」ということがありました。私はお酒をさほど好まないのですが、たばこは好きで吸っていたのです。

本数はそれほど多くなく1日5本程度だったのですが、食後の一服がとてもおいしく感じられ、何があってもこれだけはやめられないだろうと思っていました。

ところががんで入院することになり、私の楽しい喫煙生活はいや応なしに中断されることになったのです。

欠かせない悪弊を
あっさりとやめられた

「食後の一服ができない生活に耐えられるのだろうか?」と不安だったのですが、いざやってみたら全然平気でした。

というか、抗がん剤の治療が始まって少したってからは、副作用で食欲がまったく湧かず、食事も満足にとれない状態になったので、たばこを吸うどころの騒ぎではなくなったというのが本当のところです。

こうして無理をすることなくたばこを卒業できたわけですが、今になって「たばこを切らさずに買っておかなければいけない」という呪縛から逃れられたのは、本当によかったなあと思います。

自分を客観視する力

結局、私はたばこに洗脳されていたのかなという気もします。

「これがないと生きていけない」というのは思い込みで、実際はそうでもないことが多いのかもしれない。

そう自分を客観視する力がついたようにも思います。

※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。