ジャニーズでいえば、バラエティの中でネタにされることがあるほど故ジャニー喜多川氏の同性愛や、ペドフィリアの疑惑があることは明らかだった。BBCの放送では街頭インタビューされた街の人たちも噂を知っていると答えている。
しかし、そうやって多くの人が知っていることが逆に、告発の難しさにつながったようにも受け取れる。
みんな知っているはずなのに問題にならないという事実は、いじめやハラスメント、あるいは性暴力の被害に遭っている人の気力を削ぐだろう。自分がその場からいなくなるか、それともいじめやハラスメントを温存する構造を黙認して従うか。どちらにしても、自分に刃が返ってくる可能性の高い告発よりはマシだと考える人がいても、何の不思議もない。
こういった事態を防ぐために、組織には意見の言いやすさや外部からの視点など、風通しの良さが求められるが、組織の大小にかかわらず、隠蔽は起こる。
名乗り出た被害者への誹謗中傷は
社会の構造変革への恐れか
そして、これはJKTに限った話ではない。
組織に長年所属して、これまでに見て見ぬふりをしてしまった被害や加害がないかを考えてみて、「ない」ときっぱり答えられる人の方が稀ではないだろうか。
長いものに巻かれ、その場の空気を読むことは処世術であり、組織の問題を指摘する人の方が異端視される。名乗り出た被害者への誹謗中傷は、社会の構造を変革しようとする者への恐れのようにも見える。
2023年を機に、日本は変わるだろうか。それともこれまで通り、嵐が去れば元通りとなるだろうか。