人はなぜ病気になるのか?、ヒポクラテスとがん、奇跡の薬は化学兵器から生まれた、医療ドラマでは描かれない手術のリアル、医学は弱くて儚い人体を支える…。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、X(twitter)で約10万人のフォロワーを持つ著者(@keiyou30)が、医学の歴史、人が病気になるしくみ、人体の驚異のメカニズム、薬やワクチンの発見をめぐるエピソード、人類を脅かす病との戦い、古代から凄まじい進歩を遂げた手術の歴史などを紹介する『すばらしい医学』が発刊された。池谷裕二氏(東京大学薬学部教授、脳研究者)「気づけば読みふけってしまった。“よく知っていたはずの自分の体について実は何も知らなかった”という番狂わせに快感神経が刺激されまくるから」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。
奇声を発して、頭を叩く
1946年、A級戦犯として起訴された唯一の民間人、大川周明が裁判所に現れた時、彼はパジャマ姿だった。
奇声を発し、支離滅裂なことを言い、元首相である東條英機の頭を後ろから叩いた。この奇行は映像に残されていて、今でも見ることができる。
一体何が、稀代の天才思想家を荒廃させたのか。それは、わずか10マイクロメートルにも満たない微生物だった。梅毒である。
全身の臓器が破壊された後に死ぬ
大川は、梅毒による重度の精神障害で追訴免除となっている。梅毒は、梅毒トレポネーマという細菌が引き起こす感染症で、主な感染経路は性交渉だ。細菌は粘膜や皮膚の傷から体内に侵入し、血液やリンパ液の流れに乗って全身に広がる。
生殖器を介した感染はコンドームで予防できるが、オーラルセックスやキスでも感染する。梅毒が恐ろしいのは、長い年月をかけて全身の臓器をゆっくりと破壊し、最終的には死に至らしめることである。
近年の日本で増加
この恐ろしい病気が、近年日本で増加傾向にある。2022年、日本の梅毒患者数は約1万3000人で、過去最多を記録した。この数字は2021年の1.6倍だ(1)。梅毒は「The Great Imitator(模倣の名人)」と呼ばれ、その症状は他の様々な病気と見紛うほど変幻自在である。
感染してから3週間までの時期は、他の性感染症と同様に陰部に症状が現れる。性器に小豆大の硬いコブのような病変が出現し、時にえぐれて潰瘍になるが、痛みなどの自覚症状はないのが特徴だ。
この時期を第一期梅毒と呼ぶ。不思議なことに、何も治療をしなくても数週間でこの症状は消えてしまう。ところが細菌の侵略は水面下で進んでいて、1~3ヵ月経つと今度は全身に発疹が現れる。この時期から約3年間を第二期梅毒という。この症状はまたしても自然に消えてしまうのだが、この頃には細菌は様々な臓器に侵入している。
人格が崩壊して死亡
ここから数年もの間、病気は鳴りを潜めるが、気づかないうちに全身の様々な場所で病気が進行していく。3~10年の月日を経て、大動脈瘤や大動脈弁逆流症(心血管梅毒)を起こしたり、皮膚や骨、内臓に腫瘍(ゴム腫)を作ったりと、全身に病変が次々と出現する。
また、脳や脊髄を侵して麻痺を引き起こし、幻覚や妄想など、認知症や躁うつ病に似た症状を呈し、最終的には人格が崩壊して死亡する。なお、梅毒の感染経路として、母体から胎盤を通して胎児に起こる垂直感染もある。生まれつき全身の多くの臓器に病変が生じ、先天梅毒と呼ばれる状態に至る。
梅毒には、ペニシリン系などの抗生物質が有効だ。皮膚や粘膜に異常を感じた時は、性的な接触を控え、早めに医療機関を受診する必要がある。感染予防のためには、性交渉の際にコンドームを適切に使用することが大切だが、コンドームが覆わない部分から感染することもあり、過信は禁物だ(2)。
日本で梅毒感染者数が激増している昨今、重症例や垂直感染例も増える恐れがある。梅毒はもはや「昔の病気」ではない。まずは梅毒がこれほどありふれた疾患となっている現実を知っておく必要があるだろう。
【参考文献】
(1)「日本梅毒史の研究」(福田眞人・鈴木則子編 思文閣出版、2005年)
(2)厚生労働省「梅毒に関するQ&A」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/syphilis_qa.html)
(本原稿は、山本健人著『すばらしい医学』と関連した書き下ろし原稿です)
2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)。外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は1000万超のページビューを記録。時事メディカル、ダイヤモンド・オンラインなどのウェブメディアで連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー約10万人。著書に18万部のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』(幻冬舎)、『もったいない患者対応』(じほう)、新刊に『すばらしい医学』(ダイヤモンド社)ほか多数。
Twitterアカウント https://twitter.com/keiyou30
公式サイト https://keiyouwhite.com