直木賞作家・今村翔吾初のビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)では、教養という視点から歴史小説について語っている。小学5年生で歴史小説と出会い、ひたすら歴史小説を読み込む青春時代を送ってきた著者は、20代までダンス・インストラクターとして活動。30歳のときに一念発起して、埋蔵文化財の発掘調査員をしながら歴史小説家を目指したという異色の作家が、“歴史小説マニア”の視点から、歴史小説という文芸ジャンルについて掘り下げるだけでなく、小説から得られる教養の中身やおすすめの作品まで、さまざまな角度から縦横無尽に語り尽くす。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
死に直面した緊急事態
2020年に起きたコロナショックは、はからずも日本人の死生観を浮き彫りにしました。
恐らく第二次世界大戦後、日本人が今回のコロナ騒動以上に死に直面して動揺した事態はなかったと思います。
疫病や飢饉、侵攻や内乱
によって死と直面する
資料から読みとる限り、日本人は第二次世界大戦までは、死を身近に感じている民族でした。
かつては医療水準が低く、天然痘やコレラなどの疫病で多くの死者が出たこともありましたし、飢餓や飢饉も頻繁に起きていました。
あるいは、モンゴル人が中国を征服して鎌倉時代の日本を攻め込んだ「元寇」のように、外敵に脅かされる事態もあれば、内乱に巻き込まれて命を落とす可能性も多分にありました。
死に対する免疫が
失われたワケ
そんな中で、日本人は死を冷静に受け止めながらも必死で生き抜こうと頑張っていたわけです。
日本人の死生観が大きく変わったのは、第二次世界大戦後です。幸いなことに戦後、日本人は75年にわたって平和で健康的な生活に恵まれ、死に直面する機会が極端に少なくなりました。
その間、日本人からは死に対する免疫が少しずつ失われていったのだと思います。
新型コロナに動揺し
感情的な批判が横行
そこに降って湧いたのが、新型コロナウイルス感染症の世界的蔓延です。
2020年2月13日、新型コロナウイルスによる国内初の死者が報じられると、多くの日本人が動揺し、われ先にとマスクを買い求めたり、外出する人を感情的に批判したりする光景が繰り広げられました。
新型コロナの蔓延で
明らかになったこと
もちろん私は、新型コロナの被害を軽視しているわけではないですし、コロナごときでビクビクするなと言いたいわけでもありません。
現実に新型コロナで亡くなった人がいて、それを悲しむ気持ちはあります。
ただ、天然痘やペスト、スペイン風邪といった過去に流行した感染症の致死率からすると、コロナの死者数は桁外れに少なかったはずなのに、日本人は当時と同等かそれ以上に動揺しました。
その様子から「日本人は死に対する免疫をここまで失っていたのか」と衝撃を受けたのです。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。