大火で全焼、無法地帯化…
数々の危機を乗り越えてきた輪島朝市
実は、輪島朝市は今回の地震に限らず、何度も存亡の危に立たされてきた。1910年には大火で河井町の一帯が全焼し、第2次世界大戦後は、復員したものの居場所がなくなった関西からの露天商が居つき、半ば無法地帯に。また、1963年には、一帯のクルマの増加により警察から道路使用許可を取り上げられた。その7年後に今の朝市通りが歩行者天国となるまで、さまざまな存続運動が行われたという。
輪島市内は、朝市通りに限らず各地で被害が出ており、海岸線の隆起によって漁港は使えず、漁に出ることもできないという。朝市を担う人々の高齢化も震災前から進んでおり、後継者の観点からも、今後の朝市が厳しい状況に置かれているのは間違いない。
それでも、輪島の目の前には好漁場があり、海や魚との付き合いを長らく続けた人がいることに変わりはない。仮に規模が小さくなったとしても、「おいしい魚を買って食べて、漆器や美術品をめでる空間」があれば、筆者はまた食と酒、工芸品をめでに必ず出向きたいと思っている。
最後に、この度の能登半島地震で被災された方々に、心よりお見舞いを申し上げます。