裏切り者への処遇

 そうして優秀な部下の意見を吸い上げながら、もちろん、恐ろしい一面も曹操にはあった。

 気に食わないことがあれば、たとえ苦楽をともにした臣下であっても、容赦なく殺した。

 しかし、明確な裏切り者に対して、曹操は意外な対処を行っている。200年のことだ。曹操は、最大のライバルであった後漢末期の武将袁紹と「官渡の戦い」で一戦を交えることになった。

 曹操の兵が1万人だったのに対して、相手の兵は10万あまり。10倍も兵力に差があるならば、曹操が勝つのはさすがに難しい……多くの人はそう考えたようだ。

 だが、曹操は見事な戦いを見せ、奇跡と呼ばれる勝利を治めている。

 番狂わせに焦ったのは、曹操の臣下たちである。実は、多くの臣下が、敵である袁紹に対して手紙を送っていた。曹操が敗れたときに、敵側へとつけるように、保険をかけていたのである。

 戦に勝利後、その手紙が曹操に見つかったのだから、臣下たちは青ざめたに違いない。

 間違いなく処刑される――。誰もがそう考えるなか、曹操は意外な言葉を口にした。

「私でさえ勝てると思っていなかったのだから仕方がない」

 そう許して、臣下たちが袁紹に宛てた手紙をすべて焼いてしまったのだという。

 激しい怒りを見せて怯えさせながらも、明らかに処罰を覚悟している人間には寛容さを見せる。いわば、アクセルとブレーキのようなものだ。

 自分が生殺与奪を握っていると思わせれば、怒りも寛容も、相手を従わせるのに役立つということだろう。

 曹操が敵国に寝返ろうとしていた臣下たちを許したのは「敵国にも相手にされないような人材ばかりでは困る」と考えたからではないだろうか。

 その行動力や判断力をうまく活用できれば、自身が率いる組織の推進力にもなり得るだろう。弱者の立場に立ってリーダーとしての求心力を高めながら、状況に応じて、部下の意見も説教的に取り入れて、実力者であれば、自分から一度は離れようとした人材でも受け入れて、活躍の場を与える。 そんな曹操の人心掌握術は、現代のビジネスにおいても、活用できる点が多いのではないだろうか。

(本原稿は、『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』に関連した書き下ろしです)

【参考文献】
陳寿、裴松之著、今鷹真、井波律子ほか訳『正史 三国志〈全8巻〉』(ちくま学芸文庫)
劉義慶撰、井波律子訳注『世説新語〈全5巻〉』(東洋文庫)
箱崎みどり著『愛と欲望の三国志』(講談社現代新書)
渡邉義浩著『人事の三国志 変革期の人脈・人材登用・立身出世』(朝日選書)
酒井穣著『曹操 乱世をいかに生きるか』(PHP研究所)
太田牛一著、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)