米国では医師幇助自殺の対象者は法律の上では終末期の人に限定されており、そのため米国では対象者の拡大現象は起きていないと言われることがあるが、この方法であれば本来なら対象とならない人でも――健康な人であっても――合法的に自殺することも、合法的に医師幇助自殺の要件を満たす状態に至ることもできる。

 私が初めてVSEDを知って驚愕した2008年にはまだ知られ始めたところだったが、今ではVSEDをめぐって様々な国で議論となり、多くの論文が書かれるようになっている。多くが、安楽死肯定や推進の立場で書かれており、それらはほとんど「どんな人でも自由に自殺できる権利」をめぐる議論と化している。そして、そこでもまた「人々がVSEDという酷い死に方を強いられているのは安楽死が合法化されていないためだ。その権利の侵害をなくすためにも合法化が必要だ」という倒錯した論理が顔を出してきたりしている。

ベルギーの医療現場で
ルーティン化する安楽死

 ベルギーの安楽死の現場で何が起こっているか、ベルギーの医療職らの共著『Euthanasia』(*1)が詳細に証言している。実際、この本で著者らが語るベルギーの医療現場の実態は恐ろしい。

 安楽死が緩和ケアとしてのルーティン的医療サービスと化した現場では、患者の「死にたい」という言葉は即座に額面通りに受け止められ、医療職はその「意志決定」を「誤った義務感」から実行する。「患者が安楽死を希望するなら、すぐに申請機関に紹介しますよ。それが私の責務ですからね」「安楽死は法律で容認されているんだから私に拒む理由はないでしょう?患者には寛容でなければ」と平然と言う医師らは、著者のひとりの表現を借りればまるで「道具と化している」かのようだ。

 さらに法律では医療サイドから安楽死を持ち出すことは禁じられているにもかかわらず、無邪気な善意から安直に安楽死を提案したり、積極的な情報提供で誘導したりするなど「医療職から効率的かつ非合法に提案されている」現場――。安楽死に慣れて機械的な思考に陥った医療職がいかに簡単に自分たちの方から安楽死を持ち出すか、著者らが病院や施設で日常的に体験した場面の中からふたつを紹介したい。

*1
ベルギーの医療職を中心とする9人が、安楽死をめぐって医療現場で何が起こっているかを詳述した共著。2021年に英訳された(“Euthanasia: Searching for the Full Story: Experiences and Insights of Belgian Doctors and Nurses”)。和訳も近日刊行予定。