児玉真美 著
このように安楽死が日常的なルーティンと化した現場では、医師たちは法律で定められたとおりの申告もしなくなる。これについては、フェルメールもブリティッシュ・メディカル・ジャーナル誌による調査結果を紹介している。同誌がフランダースの連邦登録委員会に報告された安楽死の事例を横断的分析を用いて調査(2007年6月1日から11月30日)したところ、安楽死事例の半分しか公式に申告されていなかったとのこと。
ベルギーの医療現場で起こっていることを最も簡潔に取りまとめているのは、『Euthanasia』編者のティモシー・デヴォスによる「あとがき」の以下の一節だろう。
ベルギーでは、2002年の安楽死法の約束と多くの期待が満たされていないことは明らかである。この法律は、当時、秘密裏に行われていた安楽死に透明性をもたらし、安楽死を適切に管理するものと想定されていた。今日では、多くの安楽死事例が報告されず、事後の管理システムがほとんど不十分であることがわかっている。医師のパターナリズムは終焉を迎えるはずであったが、本書は今日、新しい形のパターナリズムが出現していることを教えてくれる。それはもはや、治療を始めるか否かをめぐる従来のパターナリズムではなく、生か死かに関するパターナリズムなのである。