「すべての科学研究は真実である」と考えるのは、あまりに無邪気だ――。
科学の「再現性の危機」をご存じだろうか。心理学、医学、経済学など幅広いジャンルで、過去の研究の再現に失敗する事例が多数報告されているのだ。
鉄壁の事実を報告したはずの「科学」が、一体なぜミスを犯すのか?
そんな科学の不正・怠慢・バイアス・誇張が生じるしくみを多数の実例とともに解説しているのが、新刊『Science Fictions あなたが知らない科学の真実』だ。
単なる科学批判ではなく、「科学の原則に沿って軌道修正する」ことを提唱する本書。
その中から今回は、論文にとって極めて不名誉な結末『撤回』にまつわる内容の一部を抜粋・編集して紹介する。

臨床試験Photo: Adobe Stock

「忙しくて、自分のやるべきことをきちんとできていませんでした」

「リトラクション・ウォッチ・データベース」(編集注:論文が撤回されるたびに情報を記録して、学術誌や著者に問い合わせてコメントを求め、問題点を分析するサイト。1万8000本以上の科学文献が登録されている。詳細は前回記事)は完璧なリストではない。学術誌によって論文の撤回を認めたり強調したりする方法が大きく異なるため、見逃しているものもある。

 さらに、撤回が必ずしも不正を意味するわけではないことにも注意が必要だ。
多くの論文は、誤りに気づいた著者が自ら申し出て撤回される。

 一方で、もう少しあいまいな撤回もある。たとえば、ノーベル化学賞を受賞した化学工学者のフランシス・アーノルドは2020年の初めに、彼女の研究チームが『サイエンス』に発表した酵素に関する論文を撤回すると発表した。理由は結果を再現できないことと、「筆頭著者の実験ノートを注意深く調べたところ……重要な実験について実験当時の記入や生データがないことが判明した」からだった。

 これが単なるミスなのか、アーノルドの研究室の学生だった筆頭著者が何かもっと悪いことをしたのかは定かでない。アーノルドの告白は痛々しいほど率直だった。「皆さんにお詫びします。(論文)提出のころ私はちょっと忙しくて、自分のやるべきことをきちんとできていませんでした」

撤回された論文の4分の1は、たった2%の科学者によるもの

 一般に、純粋なミスによる撤回は全体の約40%以下だ。大半は、詐欺(約20%)、重複出版、盗用など、何らかの不道徳な行為が原因である。ただし、撤回は増え続けているが、それが不正行為の増加を意味するわけではない。むしろ、学術誌の編集者が不正行為に対して賢くなっていたり、アーノルドのように著者がより自発的に失敗を認めるようになっていたりするのかもしれない。

 少数の法律違反者が社会のなかで不釣り合いに多い数の犯罪をおかすのと同じように、「リトラクション・ウォッチ・データベース」によると、科学者のわずか2%が、すべての撤回の25%に責任がある。最悪の常習者は「リトラクション・ウォッチ・リーダーボード」に名前が載る。いわば逆ノーベル賞だ。

科学者の1.97%が「一度はデータを捏造」しているという調査結果も

 論文撤回ランキングの強打者と、ほかにも不正を理由に論文を撤回した科学者を合わせると、実際に不正行為をした科学者はどのくらいいるのだろうか。

 撤回された論文の割合は、発表された1万本につき約4本、つまり0・04%で、安心できるくらい低い。ただし、不正が原因ではない撤回や、学術誌が虚偽の発見に気づかないもしくは撤回しない場合もあり、この数字はあまり参考にならない。

 そこで、科学者に匿名で不正をおこなったことがあるかどうかを質問したらどうなるだろうか。

 これに関する最大規模の研究は7つの調査をまとめたもので、調査対象の科学者の1・97%が、少なくとも一度はデータを捏造したことがあると認めている。50人に1人が自分は詐欺師だと認めていることは、憂慮すべきとまでは言わないが、匿名の調査であっても人は本質的に詐欺行為を告白することを嫌うものであり、現実の数字ははるかに大きいはずだ。実際、データを改ざんした「ほかの」研究者を何人、知っているかと科学者に質問すると、(もちろん、勘違いや被害妄想、自分のライバルの研究の問題点を誇張する人もいるだろうが)、その割合は14・1%に跳ね上がったのだ。

(本稿は、『Science Fictions あなたが知らない科学の真実』の一部を抜粋・編集したものです)