直木賞作家・今村翔吾初のビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)では、教養という視点から歴史小説について語っている。小学5年生で歴史小説と出会い、ひたすら歴史小説を読み込む青春時代を送ってきた著者は、20代までダンス・インストラクターとして活動。30歳のときに一念発起して、埋蔵文化財の発掘調査員をしながら歴史小説家を目指したという異色の作家が、“歴史小説マニア”の視点から、歴史小説という文芸ジャンルについて掘り下げるだけでなく、小説から得られる教養の中身やおすすめの作品まで、さまざまな角度から縦横無尽に語り尽くす。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
『鬼平犯科帳』の名ゼリフ
に人生を学ぶ
池波正太郎の『鬼平犯科帳』を読むと、次のようなセリフが出てきます。池波正太郎の名言の中で、最も好きな言葉の一つです。
「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ」(『[決定版]鬼平犯科帳2』文春文庫、P106~107)
似たようなセリフは、作品を通して何度か繰り返されています。作者の人生観を強く反映した言葉といえます。
名ゼリフをベースに
自分の行いを顧みる
何かをしようとするとき、そのセリフが頭によぎることがあります。「今の自分は果たしていいことをしているのだろうか」と自問自答するのです。
『鬼平犯科帳』には、さまざまなタイプの悪人が登場しますが、しばしば出てくるのが完全に悪に徹しきれない人間です。
たとえば、普段は盗みをして生計を立てているのに、女性や子どもが困っている姿を目にして思わず救いの手を差し伸べてしまい、そのせいで自分の悪事が露見してしまうような人物です。
池波正太郎が
伝えたかったこと
悪に生きるのなら、困っている人のことなど放っておけばいいのに、なぜかそれができないのです。
物語では、得てして「不幸な母親を見て育った」といった、悪人の幼少期のトラウマが描かれることもあります。
ただ、池波正太郎が伝えたかったのは「悪人にもそれなりの事情があるんだよ」ということではないと思います。
人間は簡単に
割り切れるものじゃない
「人間というのは、そんなに簡単に割り切れる生き物じゃないんだ」「人間はいかようにも変わるのだから、簡単に二元論で捉えるべきではないよ」
私が教わったのは、こういう考え方だったのです。
社会では悪人かどうかを法律によって裁きますが、倫理観は時代によって変わりますし、人間の振る舞いも終始一貫しているわけではありません。
歴史小説の名言を
自分の人生に生かす
どんなに悪人であっても、目の前で子どもが溺れそうになっているのを見たら、危険を顧みずに助けようとするかもしれない。
逆に、どんなに善人であっても、ふとした拍子に悪事に手を染めてしまうかもしれない。そんなあやふやな部分に救いや希望、人間の奥深さを見いだせるように思うのです。
池波作品に限らず、歴史小説にはこういった名言が詰まっています。それらの名言は自分を支える大きな力となります。
ぜひ、いろいろな歴史小説を読んで、名言を自分の人生に生かしてください。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。