「夢の実現=好きなことを仕事(職業)にする」が真理であるかのように感じるのは、3番目の特徴によるものだ。「好きなことを見つけて、それを職業にするために挑戦し努力する人生が望ましい」という考えは、一見真実のように思える。しかし、このような人生を目指すことだけがただひとつの真理であるかのように考えること自体が、幻想だと思う。「好きなことを仕事(職業)にしてこそ、いい人生を送ることができる」という雰囲気があるかもしれないが、好きなことを職業に選ばなかったとしても、間違っているわけではない。次の質問で、考えを整理してみよう。

1.「好きなことをする」という場合の「好き」は何を意味するのだろうか?
2.好きなことを見つけなければならないのか?
3.好きなことを見つけられない人生に意味はないのか?
4.必ず好きなことでお金を稼がなければならないのか?
5.好きなことでお金を稼げない場合、それをあきらめるべきなのか?
6.できることと好きなことは、必ず一致していなければならないのか?
7.できることと好きなことを共存させるのは不可能なのか?

 みなさんは、それぞれの質問にどんな答えを思い浮かべただろうか。また、上の7つのほかにも質問が浮かんだだろうか。

 疑問を整理すると、もやもやした心がすっきりする。質問は、答えを見出す手段となるだけでなく、自分の考えを導くための光にもなる。必ずしも正解を見つけようとするのではなく、自分の考えがはっきりし、質問自体が光なのだと思えるようになれば、心が明るくなり、悩みも解決するだろう。もちろん、悩みながらも結局選ばなかったことについては、後悔が残るかもしれない。しかし、その感情を受け入れれば、わたしたちは悩みの沼から這い出ることができるのだ。

失敗ばかりしているあなたへ【失望】

 わたしたちは期待通りの結果にならないと、「失望」する。これと似た言葉に、他人との競争で負けている、他者と比べて劣っている感覚を意味する「劣等感」がある。あなたが感じる気持ちは「失望」なのか「劣等感」なのか。区別してみるのもいいだろう。

人生がしんどい人に贈る、「悩み」「失望」から解放される発想の転換法イラスト:ソルレダ 

「あきらめるのはキャベツの葉を数えるときだけ」というジョークがある。初めて聞いたときは、「ねばり強く最後までやり遂げる」という意味だと理解していた。ところが、視野を広げてもう一度考えてみると、「間違ったことをやっていたとしても、人生をあきらめない」というふうにも思えてきた。

 多くの人が、消えてしまいたいぐらい心がぐちゃぐちゃで苦しいときには、宇宙の映像を見るという。わたしもカール・セーガンの『COSMOS』(朝日新聞出版)という本に夢中になって以来、宇宙の映像をよく見ていた時期があった。自分が感じていた失望がちっぽけに思え、平和な気持ちになれるのだ。「あきらめる」ことの意味について考えることと、宇宙の映像を見ること。この2つは、シチュエーションがもたらすネガティブな感情に固執しないという点で共通している。これは、感情に向き合う心を健康な状態にするために、とても大切だ。