わたしたちは、心を言葉に閉じこめてしまうことがある。経験談をお話ししよう。ある時期から、わたしは「休みたい」とひんぱんに口にするようになった。友だちや知人に会うたびに「休みたい」「旅に出たい」と愚痴をこぼしていたのだ。特に仕事に追われていたわけでもなかったにもかかわらず。ベッドに寝ているときでさえ、休みたいと思っていた。そんなふうになってしまったのは心を言葉に閉じ込めていたせいだと、後になって気づいた。

 わたしは「休みたい」という言葉に固執していたのだ。仕事をしながらも「仕事をしなきゃ」と自分を追い込んでいたように、「休まなきゃ」と思いつめることで、かえって自分を疲れさせていたのだと気がついた。その後は「休みたい」という言葉を意識的に使わないようにした。代わりに「昼寝がしたい」「公園を散歩したい」「いつものカフェに行きたい」「漫画を読みたい」など、はっきりと、そして軽やかに休む方法を決めるようになった。そのうち、「休んでいても休みたい」と思うことはなくなった。

 さて、話を「失望」に戻そう。わたしたちは「あきらめる」や「失敗」という言葉に、いともたやすく自分を閉じ込めてしまう。わたしが「休む」という呪いにがんじがらめになってしまったように。そんなときは、「あきらめる」や「失敗」という言葉を、もっと気軽に受け止めてみよう。一瞬だけ停留所に停まり、通り過ぎるバスのように。「そんな簡単にできることではない」という人もいるだろう。でも、それは本当に難しいことなのだろうか。難しいと決めつけているだけではないだろうか。もしそうなら、考えを変えてみればいい。

 最初は抵抗があるかもしれないが、それは心が「あきらめる」ことに適応する前に発するサイン。積極的に何度も挑戦すれば、言葉の呪いから脱することができるはず。「失望」は重くのしかかり、わたしたちを簡単に沈めてしまう感情だ。だから襲われるたびに自分を救い出す努力をしなければならない。「もう終わったことは、仕方がない」と、自分に説けば、「失望」から「後悔」「自責」「自己嫌悪」などに続く鎖を断ち切れる。「考えを変えるのは難しい」と決めつけて、チャンスを逃してしまわないように。タイミングをうまくつかめば、必ず効果はあるはずだ。